可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

映画『ファミリー・ディナー』

映画『ファミリー・ディナー』を鑑賞しての備忘録
2022年製作のオーストリア映画
97分。
監督・脚本は、ペーター・ヘングル(Peter Hengl)。
撮影は、ガブリエル・クラヤネック(Gabriel Krajanek)。
美術は、ピア・ヤロス(Pia Jaros)。
衣装は、マルレーネ・プレイル(Marlene Pleyl)。
編集は、ゼバスティアン・シュライナー(Sebastian Schreiner)。
音楽は、ペーター・クーティン(Peter Kutin)。
原題は、"Family Dinner"。

 

1台のタクシーが木々が葉を落としたままの森を蛇行して伸びる道を抜け、枯れ草に覆われた農場地帯に出る。舗装されていない敷地へ左折して1軒の農家の前で停車する。シモーネ(Nina Katlein)が車を降りると、リュックを背負い、キャリーバッグを引っ張り門を潜る。
月曜日。
玄関に鍵はかかっていないが、誰の気配も無い。こんにちは、シミです。声をかけながら入る。落ち着いた雰囲気のリヴィングには先史時代の彫像などが飾られている。窓越しに人影が見えたので、窓に近付いて声をかける。こんにちは。そのとき、後ろからクラウディア(Pia Hierzegger)が姿を現わす。シミ。クラウディアおばさん。夜になるんだと思ってたわ。…ああ、すいません。いいのよ。いらっしゃい。クラウディアがシミを抱き締める。
もう随分立つんだけどまだ改修が済んでないの。シュテファンが何でも自分でやりたがるから時間がかかるの。クラウディアがキャリーバッグを持ち、屋根裏の2階へ案内する。週末と休日だけですか? 今はずっとここよ。やらなきゃならないことが山積みなの。シモーネは額装された書籍のポスターを目にする。「『クラウディア・シュヴァルツが料理する』続篇は復活祭に刊行」。フィリップの部屋で構わないかしら。構いません。ベッドは用意するわ。面倒をかけたくないんです。大丈夫よ、あなたはお客さんだから。ベッドのヘッドボードに「売女」と彫られているのにシモーネが気が付く。復活祭に来ることにしたのは何故なの? マックスおじさんと離婚して以来会っていなかったので。あなたのお母さんが弟の肩を持つのは当然よ。4日間にしてはすごい荷物ね。クラウディアがベッドの上にシモーネの重い荷物を載せる。4日間? 復活祭の月曜日までって…。いいえ。あなたのお母さんと聖金曜日までって話したわ。本当に? ええ。そんなに長くはいられないわ。私がいたら迷惑ですか? そんなことはないんだけど、復活祭だから、家族だけでお祝いにあなたがいたらおかしいでしょう? あなたが来てくれて嬉しいのよ。クラウディアがフィリップの部屋を出て行く。
階段下でシモーネが母親に電話する。シミ、そっちはどう? ちょっと寒いくらいで、あとは大丈夫。温かい上着は持ってるの? あるよ。あのさ、金曜日に帰ってもいい? もちろん。大丈夫? 大丈夫。ちょっと食い違いがあっただけ。クラウディアおばさんは手助けしてくれないの? まだ頼んでない。私はあまり感心しないって言ったわよね。分かってるよ。じゃあね。
日が暮れる。シモーネがシュテファン(Michael Pink)とフィリップ(Alexander Sladek)とともに食卓を囲む。シュテファンが飲み物を注ぐ。クラウディアが料理を運んできて、肉を切り分ける。お客さんからどうぞ。シモーネにフォークを渡す。全てオーガニック、地元産よ。シモーネは一切れ取る。好きなだけ取っていいのよ。大丈夫。お代わりしてね。クラウディアはフィリップの皿に肉を取ってソースをかけると、小さく切り分けてやる。さらにセーターのボタンも留めてやる。熱いからちょっと待ってからね。ありがとう、ママ。シミ、どうぞ召し上がれ、シモーネが料理を口に運ぼうとして、クラウディアとシュテファンの皿がないことに気が付く。食べないんですか? 復活祭までの四旬節だから。信心深いんですか? 昔の人ほどではないわ。クラウディアとシュテファンは飲み物だけ口にする。
シモーネは洗面台の前でお腹を気にする。そこへフィリップが入ってくる。フィリップは服を脱いで体を拭き始める。何見てんだよ。見てない。そそられるか? そんなことない。誘われないだろ? 当然だよな。
電気を消したフィリップの部屋。シモーネは毛布を被りスマートフォンの灯りでクラウディアの本を読んでいる。フィリップが入って来てベッドに入る。続いてクラウディアがフィリップにグラスに入った水を持ってくる。スマートフォンを出して。クラウディアは息子のスマートフォンをチェックする。毛布をちゃんとかけるのよ、風邪を引くわ。おやすみなさい。おやすみ。愛してるわ。愛してるよ。クラウディアが出て行く。フィリップは折りたたみ式のナイフをカチカチ言わせる。
夜目を覚ましたシモーネは階下へ降りていく。寝室のドアがわずかに開いていて、シュテファンの上でクラウディアが腰を使っていた。部屋に戻ろうとするが、激しく喘ぐクラウディアの声につい覗いてしまう。

 

復活祭の1週間前の月曜日。シモーネ(Nina Katlein)は農場で暮らすクラウディア(Pia Hierzegger)を訪ねる。母の弟であるマックスと別れてから疎遠になっていたが、クラウディアは料理研究家として著名で、ダイエットの専門家でもあった。シモーネはクラウディアに減量を指導してもらいたかった。シモーネは母に話をつけてもらい1週間滞在するつもりだったが、クラウディアは復活祭は家族だけで過すと4日間だけの滞在を認めた。シモーネは息子フィリップ(Alexander Sladek)を溺愛し手取り足取り面倒をみる。他方、シュテファン(Michael Pink)はクラウディアを愛する一方、クラウディアの連れ子であるフィリップには冷淡な様子だった。シモーネはフィリップに容姿を揶揄われ、クラウディアに減量の話をうまく切り出せないままでいた。早朝、ジョギングに出かけたシモーネは農地に枯れ木が組まれているのを目撃する。近付いてみると、フィリップのリュックが置かれていた。

(以下では、冒頭以外の内容についても言及する。)

復活祭を控えた月曜日。シモーネは、母の弟(兄?〉マックスと結婚していたクラウディアを訪ねる。ダイエットの専門家でもある料理研究家のクラウディアに、復活祭(イースター〉休暇中の減量指導を依頼するつもりだった。しかし母親に8日間と話をつけてもらったはずが、復活祭は家族だけで過すと4日間しか滞在を認められず、言いそびれる。クラウディアは地元産のオーガニックの食材を用いた料理をシモーネと息子フィリップに振る舞う。だがクラウディアや彼女の夫シュテファンは復活祭前の四旬節を理由に断食していた。
火曜日。早朝、シモーネはジョギングして独自に減量を試みる。自著を読んでいるのを知ったクラウディアから減量に来たのかと尋ねられるが、シモーネは否定してしまう。なおかつ今は忙しいし相当の時間が必要だから手伝えないとクラウディアに釘を刺される。その晩、フィリップが行方を晦まし、シモーネは農場でフィリップのリュックサックを見たことを告げると、無事フィリップが見つかる。クラウディアは喜んで、シモーネに滞在を延ばして減量の指導を行うことを請け合う。だがその減量方法は日曜までの断食という厳しいものだった。

裸木が立ち並ぶ寂しい森の先には、農閑期の農場地帯。どんよりと曇った空の下、誰もいない家は薄暗い。クラウディアは到着が夜になると思ったと言い、予定より短い滞在しか認めない。クラウディアは太ったシモーネの滞在目的が減量であることを見抜きながら受け容れない。クラウディアはフィリップに過剰に干渉し、フィリップはシモーネの容姿を揶揄う。相当の決意を持ってやって来たであろうシモーネだが、クラウディアに減量指導を切り出すこともできない。
行方を晦ましたフィリップの捜索に協力したシモーネは、クラウディアから減量指導を受ける。それは6日間に亘る断食という厳しいもので、食事をとるフィリップと食卓を囲まなくてはならなかった。しかもフィリップはチョコレートバーのパッケージを荷物に忍び込ませたり、鼠の死骸をベッドに置いたりして、シモーネに嫌がらせする。

クラウディアは料理本をヒットさせ、古代文化に学んだ続篇を準備しているが引き受ける出版社が見つからないという。インテリアに置かれた彫像は、古代文化への傾倒の表れである。復活祭前の四旬節の断食について信心深いとシモーネに言われたクラウディアは、昔の人ほどではと言うのもそうだ。どうやらキリスト教以前の風習に遡って春を迎える儀式として「復活祭」を捉えているらしい。キリスト教の観点からすれば、神(教会)に従わず古代文化を信奉することは、悪である。クラウディアは古代文化復活を図る魔女ということになる。だからクラウディアがシュテファンに跨がってセックスする描写にも、教会が認める正常位(=宣教師の体位)に対する、男女の役割を逆転させてしまう「自然に反する罪」を行っている(アンナ・アルテール、ペリーヌ・シェルシェーヴ〔藤田真利子、山本規雄〕『体位の文化史』作品社/2006/p.134参照)という意味がある。

 〈宣教師の体位〉のおかげで、体液を浪費せず効率的に種の結実をもたらし、快楽を最小限にとどめて男性の優位を維持することが可能になる。当時の聖職者が神聖視していた表現によれば、「貴重な精液が女の器から漏れて流れ出すことがない」すばらしい循環がもたらされるというのだ。そしてこの体位は、男が女よりすぐれた役割を担っていること、支配者・主人として女をその身体の下に押しつぶしてもよいことをはっきりさせてくれる。男は仰向けに寝た女の上に馬乗りになり、農夫のように鍬の先で、目の前にある女の唯一の肥沃な場所である畝に、小さな種を植えつけるのだ。そのほかのどんな性交の形態も、獣のような、あるいはもっと悪ければ悪魔のような行ないなのであり、「奇形」や「癩病」や「不具」や「怪物のような」子どもが生まれる原因とされた。(アンナ・アルテール、ペリーヌ・シェルシェーヴ〔藤田真利子、山本規雄〕『体位の文化史』作品社/2006/p.42)

シュテファンによる農家の改装が未だ終了していないというのも、農家が象徴するキリスト教の伝統を、古代文化に塗り替えることを意味するのだろう。シュテファンがフィリップ、シモーネと猟に行き、ウサギを撃つのも、古代文化を征服したキリスト教の否定と考えられる。

クラウディアを恐れるフィリップは、キリスト教的価値観を体現していることになるのだろうか。あるいは、彼から体型について指摘されるシモーネは、キリスト教や男性中心の世界の規範に自らを矯正しようとする者なのだろうか。だがシモーネがキリスト教を否定するクラウディアの弟子として減量を行えば、それは矛盾となる。その矛盾が破局をもたらすことになる。