映画『ボイリング・ポイント 沸騰』を鑑賞しての備忘録
2021年製作のイギリス映画。
95分。
監督は、フィリップ・バランティーニ(Philip Barantini)。
脚本は、ジェームズ・カミングス(James Cummings)とフィリップ・バランティーニ(Philip Barantini)。
撮影は、マシュー・ルイス(Matthew Lewis)。
美術は、エイミー・ミーク(Aimee Meek)。
衣装は、カレン・スミス(Karen Smyth)。
編集は、アレックス・ファウンテン(Alex Fountain)。
音楽は、アーロン・メイ(Aaron May)とデイヴィッド・リドリー(David Ridley)。
原題は、"Boiling Point"。
ロンドン。クリスマス前の金曜日。日の落ちた通り。ニット帽を被りリュックサックを背負ったアンディ・ジョーンズ(Stephen Graham)が電話しながら足早に歩く。分かってる。俺が忘れたんだ。昨晩やっておくべきだった。日曜のうちに終わらなかった。晩くまで戻らなかった。着いたらすぐ手配する。約束するよ、着いたらすぐ。約束するから。文字通りそこまで来てる。ちょっとだけ待ってろ。電話を切ってアンディは急ぐ。通りから店へ続く小径へと曲がる。アンディは再び電話をかける。ケリーの電話は留守電になっている。連絡し損ねた、すまない。期待を裏切っちまった。追い込まれててさ。本当に本当にすまない。おかしくなってたんだ。分かるだろ? 彼に謝っておいてくれよ。寝る前に電話する。本当に本当にすまない。わかるだろ? 2ヶ月間転々としててさ。昨晩引っ越したばかりなんだ。俺のせいだ。寝る前に電話するって伝えてくれ。
電話を終えたアンディが店に入る。入口にはクリスマスツリー。客席を抜け、バーカウンターの脇を通ると、スタッフが挨拶する。おはよう、シェフ。コーヒーは? ビリー(Taz Skylar)が尋ねる。ダブルで。オープンキッチンの手前ではスー=シェフのカーリー(Vinette Robinson)が白衣と白い帽子を身に付けた男(Thomas Coombes)と話している。ジョーンズさん? アンディに白衣の男が声をかける。衛生監視官のラヴジョイです。よろしく。進めていいですか? ちょっと待ってくれ。アンディーはカーリーに任せて事務所へ向かう。準備でき次第、お願いしますよ。カーリー、私たちで仕上げてしまいますか? 彼を待っている間に問題点をおさらいできますよ。了解です。ラヴジョイは見習いのトニー(Malachi Kirby)が牡蠣の殻を開ける作業で手袋をしていない点を問題視する。料理人のカミーユ(Izuka Hoyle)が手洗い用シンクではなく調理用シンクで手を洗っていたことを指摘し、食品衛生の講習を受講したことがあるか確認する。カーリーはカミーユが2級の資格を持っていると言うと、ラヴジョイは証明書の提示を要求するのを忘れない。続いて冷蔵庫の温度を確認し、規定通りだと言いつつ、それが何度かをカーリーに答えさせる。カーリーは正解の8度と返答するが、モノが詰まっている庫内なら理想は少々低い5度だと言う。カーリーは規定通りだと衛生監視官に認めさせようとするが、ラヴジョイも空気が循環しないと規定温度を超過して食材が無駄になると引き下がらない。続いてラヴジョイは鴨肉をローストしているフリーマン(Ray Panthaki)に質問するが、無反応。フリーマンはイヤホンをしていた。イヤホンを外させて63度で加熱するというフリーマンにその温度をどうやって得るのか尋ねると、フリーマンは毎回探針でチェックすると断言する。ラヴジョイは壁面のタイルの損傷についてカーリーに尋ね、翌日業者が補修に来ると聞くと、写真を添付して送信するよう求める。重ねてフリーマンに顎髭を触る癖があると指摘されると、カーリーは彼は手洗いするから大丈夫と請け合う。衛生監視官はオープンキッチンの裏手にあるデザートパティシエの調理場に回る。カーリーが菓子担当のエミリー(Hannah Walters)とその下で働くジェイミー(Stephen McMillan)を紹介する。初めましてと挨拶するラヴジョイに、エミリーは実は以前にお見かけしたと、ホクストンにあるラヴジョイの菓子店ローリー・ポリーズを話題にする。バナナケーキにダークチョコレートが入っていたなどと盛り上がり、衛生監視官もすっかり気を許す。そこへアンディがやって来て、店を開けたいと告げる。
クリスマス前の金曜日。アンディ・ジョーンズ(Stephen Graham)がすっかり日の落ちたロンドンの通りを足早に歩きながら電話で詫びを入れていた。高級レストランでシェフを務めるアンディは、ここ2ヶ月仕事に忙殺されて事務所に寝泊まりし、酒とドラッグとで疲労とストレスとを何とか誤魔化していた。前夜珍しく自宅に戻ったら遅刻してしまった上、しかも食材の発注を忘れていたことを指摘されたのだった。約束していた息子への連絡もできず、別れた妻に謝罪のメッセージを残した。店に到着すると、衛生監視官のラヴジョイ(Thomas Coombes)が査察に入っていた。アンディは、スー=シェフのカーリー(Vinette Robinson)に引き続き対応を委ね、自らは身支度を整えると、ラヴジョイから5から3へと評価を下げたと報告される。衛生管理が継続的に記録されておらず文書管理も粗雑なこと、アントルメティエのカミーユ(Izuka Hoyle)が食材を洗うシンクで手洗いしていること、アプランティのトニー(Malachi Kirby)が牡蠣の処理の際に手袋を使用していないことなどが理由だった。査察が終了するや否やカミーユとトニーを叱責するアンディを、カーリーが取り成す。一方、アンディも食品衛生評価が下がったことを伝えられたマネージャーのベス(Alice Feetham)に咎められる。カーリーはベスに昇給を掛け合うようアンディに頼んでいたため、2人が話しているのを見て期待するが、アンディが約束を果たしていなかったこと知って落胆する。ベスがスタッフを集めて打ち合わせを始めるが、ウェイトレスのロビン(Áine Rose Daly)とキッチン・ポーターのジェイク(Daniel Larkai)はまだ姿を見せない。いつもより客数が多い上、テレビ出演で顔も売れている著名な料理人アリステア・スカイ(Jason Flemyng)が来店するので丁重にもてなすようベスは皆に注意する。バーテンダーのディーン(Gary Lamont)がコアントローなどの在庫がないことを伝え、スー=シェフのカーリーが野菜と魚を薦めるよう求める。インスタに写真をアップするからとベスが皆を集めて写真を撮り、打ち合わせは終了。アンディはベスからアリステア・スカイの予約を知らされていなかったことに憤慨していた。
クリスマス前の金曜日、賑わう人気レストランでスタッフたちが繰り広げる群像劇をワンショットで描く。
料理人が調理に追われるオープン・キッチン、スタッフが注文と配膳で動き回る満席のホールなどで、ある1人のレストランのスタッフをカメラが捉え、彼/彼女が歩き回るのをカメラが追うことで、対象者に降りかかるアクシデントが映し出され、物語も進行していく。いつ魔物に襲われるか分からない3DダンジョンRPGのプレイヤーのように、鑑賞者は緊張感を持続して画面を眺めることになる。
書き入れ時にやって来る衛生監視官は凶事の前兆か。ここ2ヶ月の多忙な日々の皺寄せがまずは衛生評価の低下という形で露わになる。疲労と酒の影響で機能しないシェフの役割を肩代わりするスー=シェフ、言葉が分からずに苦労するアントルメティエ、指導が十分に受けられないアプランティ、オーディションのために遅れてくるウェイトレス、人種差別主義者に露骨な嫌がらせを受けるウェイトレス、(シェフにドラッグを提供しているために首を斬られない)責任感が完全に欠落した同僚のせいで2倍の仕事を押し付けられるキッチン・ポーター、真面目で才能があるが精神的に追い込まれているパティシエなど。多忙の中、次々と起こる問題が、大きな災難が発生する圧力を高めていく。
ここ2ヶ月の間にシェフに何があったのかは分明ではない。明らかなのは、シェフが疲労困憊し、酒とドラッグに依存していることだ。その結果、シェフは十分にその役割を果たし得ない。有能がスー=シェフが必死にシェフの役割を埋め合わせようとするが、クリスマス・シーズンの週末の忙しさは、埋め合わせを不可能にする。例えば客のアレルギー情報などは、必ず誰かが踏みつけて足を傷めることになるホラー映画に登場する釘のようである。この後一体どんな禍をもたらすのか、客は恐怖心を植え付けられたまま宙吊りにされる。そして物語が破綻を迎えるまで負は連鎖し続けるのだ。