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芸術鑑賞の備忘録

展覧会 エヴェリン・タオチェン・ワン個展『オランダの窓中にあるノルウェーの音楽』

展覧会『エヴェリン・タオチェン・ワン(EVELYN TAOCHENG WANG)「オランダの窓中にあるノルウェーの音楽(Norwegian Music in Dutch Window)」』を鑑賞しての備忘録
KAYOKOYUKIにて、2022年6月24日~7月31日。

画賛というべきか、韻文による絵日記というべきか。言葉を伴う絵画6点で構成される、エヴェリン・タオチェン・ワンの個展。

《ET_DR_21_002》(830mm×575mm)の右手にはアールデコ調の窓が縦に3つ並び、一番下の窓にはギターを抱える人物の後ろ姿が描かれている。画面左下には大きな松毬の付いた松の枝が描かれ、そこから黄、赤、紫などの電球を付けた電線が三層の窓の最上部を経て画面右上へと連なっている。画面左上には青い描き込みがあるが何を表わすのかは不明だ。これらのモティーフ以外は淡い墨で塗られ、上端と下端には短い描線を繰り返し描き込んでいる。オランダ語と日本語の2カ国語の書き込みによれば、オランダの冬の憂鬱さを表わしたものであるらしい。ヨハネス・フェルメール(Johannes Vermeer)の《ギターを弾く女(De gitaarspeelster)》や《リュート調弦する女(De luitspeelster)》のように、窓は室内に光を持ち込むものではない。窓外は電球による照明が必要なほど暗鬱で、むしろアールデコ調の窓の中の方が光に溢れている。オランダの光が室内に閉じ込められ、室内の光を屋外から眺める形は、オランダに対する憧れと距離感を表現したもののように見受けられる。

《ET_DR_22_001》(830mm×575mm)の画面右手には格子状の窓が縦に2列並び、樹影や空を映し出し、あるいは室内の装飾を覗かせている。窓の右下にはプリズムによる分光のような黄、赤、青、緑などの色の層が配され、その左手には2種の貝(貝殻)が描かれる。画面上部には揚げられた凧がその紐とともに描かれている。画賛では、ノルウェーエドヴァルド・グリーグ(Edvard Grieg)の音楽が想起させるノルウェーの複雑な山容と、平板なオランダの光という対照が訴えられる。そのために、山を想起させる樹影と青空の光、浜辺(地)の貝と空のカイト、というように画面にもコントラストが際立つモティーフを配している。また、作家の絵画とグリーグの音楽とは、視覚と聴覚との対照となっている。二枚貝と巻貝との2種類の貝が描かれているのも、ハマグリという二枚貝は蜃気楼というイメージを生み出し、巻貝は耳に当てると音がするという、視覚と聴覚との組み合わせであることから納得できる。凧もまた、それ自体の絵柄と風を切る音という視覚・聴覚の両者を含んだモティーフと言える。そして、何より、絵=視覚と画賛=聴覚との組み合わせにより構成される作家の作品のアナロジーでもある。

作品はいずれも薄い紙に描かれており、補強のために紙が重ねられ、四隅に挟んだクリップで壁に刺したピンにかけられている。壁にはくすんだ青の矩形が塗られ、その青を見せるために、作品を矩形からややずらして設置している。青の矩形は、厳密には四角形ではなく、一部を直線的(幾何学的)に欠いている。例えばピーター=リム・デ・クローン(Pieter-Rim de Kroon)監督の映画『オランダの光(Hollands Licht)』(2003)では湖沼などが埋め立てや堤防の構築によって人工的に失われてきたことに言及されているが、作家は水面のみならず、都市のスカイラインが高層建築によって失われていることも、青い矩形の欠損で表現しているのではなかろうか。すなわち、青い矩形とは水面と空とを表わすものである。作家の画賛の「思い出させる(reminds me)」という言葉は、その場にないもの、ひいては喪失自体を訴えかける。そもそも絵画とはイメージを描き出すことで、却ってイメージの対象の不在を思い起こさせる装置であるということに、思い至る。