映画『僕らの世界が交わるまで』を鑑賞しての備忘録
2022年製作のアメリカ映画。
88分。
監督・脚本は、ジェシー・アイゼンバーグ(Jesse Eisenberg)。
原作は、ジェシー・アイゼンバーグ(Jesse Eisenberg)のラジオドラマ"When You Finish Saving the World"。
撮影は、ベンジャミン・ローブ(Benjamin Loeb)。
美術は、メレディス・リッピンコット(Meredith Lippincott)。
衣装は、ジョシュア・J・マーシュ(Joshua Marsh)。
編集は、サラ・ショウ(Sara Shaw)。
音楽は、エミール・モッセリ(Emile Mosseri)。
原題は、"When You Finish Saving the World"。
ジギー・キャッツ(Finn Wolfhard)が自室の一画のスタジオで動画チャンネル「リアルジギーキャッツ」のライヴ配信を開始する。ポーランド語や中国語も交えつつ、ベラルーシやバングラデシュなど世界中の視聴者に向け、時差も気にしながら挨拶する。ジギーはギターを爪弾きながら、出来たばかりの曲を歌い始める。♪金塊だって紙切れになるんだ ♪気化するんだって理由なんて無いんだ ♪息苦しいよ囚われてしまって ♪白々しいよ暗い顔したって ♪線路は並んでるけど交わらなくて…
民間シェルター「スプルース・ヘヴン」。代表を務めるエヴリン(Julianne Moore)が廊下を足早に進む。職員室では誕生日祝いが行われていた。エヴリン、ケーキをどう? 何事? レスリーの誕生日何です。21ですよ。歌声がうるさいって苦情があるの。新しい入居者と子供の受け容れをしているところよ。私の声が大きかったのね。ごめんなさい。静かにします。3時前には片付けますから。お祝い気分が消え、悄気る職員たち。エヴリンが立ち去る前にレスリーにかけた誕生日おめでとうの言葉は虚しく響いた。
エヴリンは自動車で自宅に戻る。薄暗いリヴィングルームでは、ロジャー(Jay O. Sanders)がクラシック音楽をかけながら読書をしていた。オーブンにタジンがあるよ。今日はどうだった? 女性が入居することになって、26歳で、8歳と4歳の子連れ。昨晩、帰宅した夫に殴られて、その間、子供たちは地下室に閉じ込められたって。警察が来たけど夫とした話さなかったって。幸い8歳の息子さんが携帯電話に録音してた。あなたはどうだったの? 極めて有意義だった。良かった。エヴリンが階段を上がると、息子のジギーの部屋からギターと歌声が響いていた。エヴリンはドアをノックして息子に声をかけるが反応が無いので立ち去る。歌い終えたジギーはすぐに投げ銭をしてくれた視聴者の名を挙げて感謝する。また来週、学校の好きな女の子についての新曲を披露するからまた見てねとライヴ配信を終える。ママ! ライヴ配信中にドア開けようとした? ジギーが叫ぶ。ジギーは部屋を出て行き、父親に尋ねる。ママはライヴ配信中にドアを開けようとした? 知らないよ、ママに聞いてくれ。ジギーが浴室の扉を開けると、エヴリンはシャワーを浴びている最中だった。ごめん。ライヴ配信中にドアを開けようとした? 私はシャワーの最中なの。ライヴ配信って何? 僕の稼ぎの場所だよ、僕の歌を聴きたがってる何千人もの子供たちが僕に投げ銭してくれるんだ。僕はトップグループの演奏家の一人なんだ。何だか凄そうね。そうだよ。で、稼いだお金をどうするつもりなの? そりゃ使うよ。何に? どうかな、たぶん新しいギターとか。マイクとか、翻訳ソフトとか。アフリカの子供たちにも演奏を聴かせたいからね。100もの言語があるんだ。だったら演奏して手に入れたお金で演奏するための機材を購入するつもりなの? そうなるね。延々と堂々巡りを繰り返すってことにならない? えっ? 出口のない場所をぐるぐると廻って疲弊しているみたいだけど。結末を考えたことはあるわけ? ああ、結末か。分からないけど、僕が金持ちになって、母さんが貧乏になるってことかな。あなたが金持ちで私が貧乏になると。そうだよ、とにかくドアを開けないで。ライヴ配信のときね。そう。
インディアナ州。高校生のジギー・キャッツ(Finn Wolfhard)は自宅の一画に設えたスタジオから動画チャンネル「リアルジギーキャッツ」を通じて演奏をライヴ配信し、今では世界に2万のチャンネル登録者を持つ。それでも想いを寄せる同級生のライラ(Alisha Boe)には振り向いてもらえない。ライラが友人たちと交わす人種や環境についての会話にジギーはまるで付いていけないのだ。それでもライラに近付きたい一心でティーネイジャーの政治集会に顔を出してみると、ライラの詩の朗読に心を鷲摑みにされる。
ジギーの母エヴリン(Julianne Moore)は民間シェルター「スプルース・ヘヴン」を創設し、家庭内暴力に苦しむ女性や子供に一時避難所を提供して来た。正しいことに真剣に取り組むエヴリンだが、職員、入居者、それに息子ジギーや夫ロジャー(Jay O. Sanders)とのやり取りは、いつも歯車が噛み合わない。自動車修理工の夫に暴力を振われたアンジー(Eleonore Hendricks)が「スプルース・ヘヴン」に入居することになった。アンジーに付き添う高校生の息子カイル(Billy Bryk)の気立ての良さにエヴリンはいたく感心する。エヴリンはカイルに卒業して父の工場で働くのではなくオーバリン大学で社会福祉を学ぶよう勧め、その実現に向けて邁進する。
(以下では、冒頭以外の内容についても言及する。)
エヴリンと周囲とのコミュニケーションの齟齬が冒頭からずっと描き出される。職場のスタッフの誕生日パーティーを騒音の苦情があると言って白けさせ、誕生日おめでとうと言う。退去する状況になり感謝を示す入居者からハグさせて欲しいという申し出に電話中だからとなおざりに応じる。朝、車に乗せて欲しいというジギーが5秒待ってと言うと、時計で5秒数えて置いていく。とりわけ、受付のスタッフに勤続年数を尋ねると、馘ですかと相手が動揺するので、エレベーターが来ないから話しただけだと言い放つ場面では、常に他者を保護する立場にあるエヴリンが自らの権力に無自覚であることが如実に示される。シェルターに入居するアンジーの息子カイルに対する一方的な期待は本人の意思を超えていくが、それはカイルがエヴリンとの関係をうまく保たないと施設を追い出されるのではないかと忖度したことがきっかけだ。高卒の自動車修理工などではなく大卒の社会福祉の専門家の方が断然良いに決まっているというエヴリンの独断は、アンジーの顰蹙を買うことになる。
ジギーは想いを寄せるライラが友人たちと交わす社会問題の話題にまるで付いていけない。それでもライラの参加する政治集会に顔を出し、彼女の自作詩に感動して、暗記して曲をつける。ジギーは幼いが、それでも思いは真っ直ぐだ。ジギーの行動原理は情熱――ライラの自作詩の朗読にも感じたように――である。社会に関する知識は乏しいが、世界のティーンたちと音楽を介して必死で繋がろうとしている。彼ら/彼女らに避難所を提供しようとしている点で、実はジギーはエヴリンとパラレルな道を辿っているのだ。
『僕らの世界が交わるまで』という邦題は原題から離れつつ作品の主題に添っている。