可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

本 筒井康隆『モナドの領域』

筒井康隆モナドの領域』〔新潮文庫つ-4-56〕新潮社(2023)を読了しての備忘録

河川敷で若い女の腕が発見された。その美貌で周囲の視線を惹き付ける上代真一警部が現場に向かうと、第一発見者は演劇装置のために葦を刈りに来た美大生の實石夏生だと井上巡査から報告を受ける。肩口から切断され間がない普通の女の腕に普遍的なエロティシズムがあると執着を示すベテランの鑑識・堤の所見は、被害女性は20代、身長150センチ、死後10時間程度であった。現場に残り周辺を実見していた上代警部に、工藤刑事から付近の公園で片脚が発見されたと連絡が入る。後日、紺野雅彦・佳奈夫妻の経営するパン屋「アート・ベーカリー」で河川敷で発見された腕と酷似するバゲットが売られているとの投書があり、上代警部が店を訪ねる。腕のパンを調理した栗本健人は他のアルバイトが休むために臨時で働きに来ていた美大生で、当日に辞めたところだった。上代警部が電話するが栗本は出ない。そこに常連の初老の紳士、美大の洋画科教授・結野楯夫が姿を見せる。栗本が焼いた腕のパンを新聞のコラムで紹介し、ちょっとしたニュースにした人物だった。教授は宙空を見上げ黒目が泳ぎ、ただならぬ気配を漂わせている。栗本も同じおかしな視線をしていたと上代警部は店主から告げられた。

(以下では、全篇の内容について言及する。)

河川敷に落ちていた女性の片腕の第一発見者の實石夏生、近隣のパン屋「アート・ベーカリー」のアルバイト・スタッフの倉見直之・堀宏美、2人が休むための代わりを引き受けた栗本健人、店の常連客・結野楯夫、(GODに憑依された)結野に付き従う高須美禰子がいずれも事件現場近くの美大関係者。
最初に発見されるのは、女性の片腕。
女性の片腕と美術との結び付きは、失われた腕の想像を迫るミロのヴィーナスの陰画と言える。腕から腕の持ち主を想像させられることになる。

キリスト教への言及が随所に見られる。冒頭から、ベテランの鑑識・堤は女の腕としてはどちらかといえば不細工だと評しつつ、「おそらくはアダムと一緒に神様が作ったイブの腕もこんなんじゃなかったかと思うほど普通の女の腕に感じられる普遍的なエロティシズム」(p.10)を認める。また、栗本健人は、「キリストのような髭を生やしていた」(p.19)。
そもそもパンはキリストの身体とされる。イエスのような風貌の栗本が本物と見紛うばかりの腕の形をしたパンを制作する。しかも大量にである。「よりリアルになった大量の片腕がそこにはあった。そのようなものが積みあげられていた場合、通常誰でものが連想するのは、言うまでもなくアウシュヴィッツである」(p.30)。それは凶事の予兆である。

量子力学で言えば、同じ物理定数を持つ可能世界は量子的に分岐した世界として、必要な範囲内の近似値が小さいほどこの世界と隣接している。これらは可能世界において、自発的対称性の破れの瞬間に『分裂』によって作られた世界だ。共通部分も多くある」(p.218)が、この世界が可能世界の1つと時空間で重なってしまった結果起きたのが、事件の原因であった。自発的対称性の破れを放置すれば世界が破綻的恐慌に見舞われる。宇宙に遍在するGODは、その問題に対処するため、栗本や結野の身体を借りていた。

「可能世界には、お前さんたち1人ひとりが考えた自分自身の理想の世界も含まれるんだよ、パチンコをしながら漫然と考えたどんな滅茶苦茶で不完全で断片的な世界であってもだ。犬が思う理想の世界、赤ん坊の脳が思う世界、はては胎児の抱く理想の世界、『蚤の息さえ天まで昇る』んだ。そんな世界はもうあり得るとしか言いようがないじゃないか。それじゃあまあ、ひとつだけ教えてあげようかね。わしやお前さんたちがここでこうして存在しているのもひとつの可能世界に過ぎないという証明だ。つまり、これが単に小説の中だとしたらどうだい。読者にしてみればわしやお前さんたちのいるこの世界は可能世界のひとつに過ぎないだろ。お前さんたちだってわかっているじゃないか。これが小説の中の世界だってことが」(筒井康隆モナドの領域』新潮社〔新潮文庫〕/2023年/p.214-215)

無論、GODは作家自身であり、この作品はメタフィクションである。「わたしが存在している理由はね、わたしが創ったものすべてを愛するためだよ。当然だろう。すべてはわしが創ったんだ。これを愛さずにいられるもんかね」(p.230)。

映画『トランセンデンス(Transcendence)』(2014)において、Johnny Depp演じる人工知能研究者ウィル(Will=will、意思)は死に際して、Rebecca Hall演じる妻エヴリンによってネットワークの中に転生される。ウィルは独自に発達を遂げ、世界の変革を試みる。ネットワーク内という枠があるものの、その範囲内ではウィルは遍在していた。同様に、作家は、『モナドの領域』という書籍の中ではGODとして遍在しているのである。
GODの付き人となった高須美禰子は、愛するGODとお別れをしなければならないだけでなく、GODの一切を記憶から失うことになる。だがGODの記憶を失った後、彼女の手にあるのは、トマス・アクィナス神学大全』第1巻である。彼女はいつかGODに思いを馳せる日がやって来るかもしれない。

読者は、作家と同じ位置に立ち、作家の分身であるGODや、高須美禰子、上代警部らがいた世界を眺めている。読者は、作家と同じ能力を有している。腕一本あれば、いつでも世界を想像=創造できるのだ。
いつの間にか私もGODに憑依されてしまったようだ。