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芸術鑑賞の備忘録

展覧会 所彰宏・川名晴郎二人展『Go the long way around』

展覧会『所彰宏・川名晴郎二人展「Go the long way around」』を鑑賞しての備忘録
PATH ARTSにて、2023年9月7日~17日。

サイアノタイプ、フォトポリマー、モノタイプといった版画作品の所彰宏と、版画の手法を取り入れた日本画の川名晴郎との二人展。『Go the long way around』という展覧会タイトルは、日本画や版画の表現手段としての迂遠さに因む。

所彰宏のモノタイプ《路面の家》にはガードパイプ越しに土蔵を思わせる(入母屋の?)黄色い家が描かれている。正面の壁の渦紋の円、側面お壁の三角形、扉の格子と、仙厓の《○△□》の図形的モティーフが散らされており、光を象徴する黄色で表わされた家は、宇宙を表わしているのかもしれない。家の前に佇む2人のうち1人は、青い頭部に黒いタイツ姿のようなシルエットとして表わされ、地球外からやって来た人物のようにも見える。日常的な光景から浮遊するSF的なイメージが魅力である。
所彰宏のフォトポリマー《航海》(198mm×210mm)は、小舟を漕ぐ4人のもとに空から2人の人物が雲に乗って現われる、来迎図的な作品であり、やはり仏教絵画、あるいはSF的要素が見られる。高校生らしき白いシャツと黒いスラックスの男性が赤銅色の侍の銅像と握手する、所彰宏のモノタイプ《再会》(960mm×770mm)もまた現実離れしたイメージである。さらに、2人の女性を描く、所彰宏のモノタイプ《訪問》(960mm×770mm)を加味すれば、邂逅がテーマとして浮かび上がってくる。
所彰宏がサイアノタイプを用いた大画面(1800mm×2710mm)の作品《漂流》は、流氷(あるいは岩)の上に、息子を肩車し、また娘に腕を取らせる父親を中心として、両腕を掲げる裸婦、腕組みをして話し込む侍、銛を振り下ろそうとする男、踊る女など、様々な銅像が配されている。複数の銅像の流氷上での邂逅は、やはりSF的イメージである。
なぜ銅像が漂流するのか。それは、BLMに関連して撤去されたリー将軍銅像など、銅像に対する評価の変遷をテーマにしているからだと解される。

 イタリア北東部ボルツァーノ市にファシスト党ムッソリーニを顕彰するレリーフを擁する建築物がある。この負の歴史の「活用」についてコンペが行われた。コンペを勝ち抜き2017年に完成したのは、「従う権利は誰にもない」という一文をレリーフの中央にネオンサインで上書きするというプランだった。これはレリーフに刻まれていたファシズムの用語「信じること、従うこと、闘うこと」に対抗させるため、ハンナ・アーレントの発言から取られた。ここで重要なのは、アーレントの黒人差別主義者としての側面が提起され始めていることだ。アーレントの人種主義者としての評価がかたいものになれば、ファシズムを上書きするためのアーレントの言葉はさらに上書きされるのかもしれない。
 差別者、抑圧者はつねに「発見」され続ける。その意味で、歴史とは「恥ずかしさの発見」だと言える。変わってしまうのはコロンブスでもアーレントでもなく、われわれの政体であり価値観である。だからこそ、時代時代の「われわれ」が何に耐えられなかったのか、削除ではなく上書きし続けていくことが重要ではないだろうか。レベッカ・ソルニットが述べているように、「シンプルなストーリーを別なシンプルなストーリーに置き換える」だけでは「対抗」にはなりえない。削除するのならば、撤去し、引き倒し、海に投げ入れたあとの空白を何で埋めるのか。上書きするのならば、上書きしたものがさらに上書きされる未来を恐れずに見据え続けること。いま問われるべきは、そのようなことだろう。(小田原のどか「モニュメンツ・マスト・フォール? BLMにおける彫像削除をめぐって」『現代思想』第48巻第13号(2020年9月)p.245)

川名晴郎《時間》(650mm×500mm)には、ベンチで横になる人物、巨大なサボテン、高校野球を映し出すモニターが余白を大きく取った画面に表わされている。ガラスのようなベンチに座る人物、あるいはサボテンの前に浮かぶモニター(版画による)が、浮遊感、そして現実から乖離するイメージを生み出す。成長の遅いサボテンが大きく成長するまでの時間の長さと、高校生の一瞬の夏とが同じ画面に同居する(ラーメン屋のメニューの看板を前にした作業員を描く川名晴郎《花小金井》(350mm×350mm)にもサボテンが描き込まれており、一瞬で啜られるラーメンとサボテンとが対比されている)。寝転がってテレビを見る人物、あるいはサボテンを見る人物という、個々にはあり得るイメージは、サボテンとモニターとの思いがけない衝突によって破調がもたらされる。そこには個々の版という別の世界(あるいは時間)が1枚の紙に刷り上げられる版画に通じる。様々な音楽家肖像画掲示された音楽室を描く川名晴郎《音楽室》も異なる時間(世界)の同時存在の表現であるとともに、同じ人物の肖像画を並べ、あるいは床にまで肖像画を置くことで、破調が表現されている。
川名晴郎の日本画の、版画を取り込み、あるいは版画に通じる構成が、所彰宏の版画との親和性を高め、一体感のある二人展となっている。