可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

映画『Here』

映画『Here』を鑑賞しての備忘録
2023年製作のベルギー映画
83分。
監督・脚本は、バス・ドゥボス(Bas Devos)。
撮影は、グリム・バンデケルクホフ(Grimm Vandekerckhove)。
美術は、スペラ・トゥサール(Spela Tusar)
衣装は、クロエ・ヴァスラン=ダンドル(Chloé Wasselin-Dandre)。
編集は、ディーター・ディーペンダーレ(Dieter Diependaele)。
音楽は、ブレヒト・アミール(Brecht Ameel)。
原題は、"Here"。

 

ブリュッセル。公園の樹木の間から建設中の高層ビルが見える。タワークレーンが稼働し、ヘルメットを被り、黄やオレンジのベストを着けた作業員たちがまだ壁の貼られていない建物で作業している。
公園では労働者たちが集まって飲み食いしながら話に花を咲かせている。
バスの後部座席に仕事仲間の3人が坐って揺られている。眠っていたジュヴィアルをポニーテールの男が起こす。良いバカンスを。お前もな。何時発つんだ? 今晩、格安航空で。ステファン(Stefan Gota)は月曜に車でと答える。ジュヴィアルが先にバスを降りる。
バスを降り、ステファンは飲み物を飲み、ポニーテールの男は煙草を吸い、ヴァカンスについて話しながら鉄道の高架橋の下を歩く。ステファンが噎せる。窒息死かけたな。ステファン! 遠くで叫ぶ声が聞こえた。妙だな。2人の脇をトラムが通り過ぎていく。
自宅のカウチで眠っていたステファンが目を覚ます。一度起き上がるが、再び横になる。
シャワーを浴びたステファンがTシャツの匂いを確認して身に付ける。日が暮れて、部屋は薄暗い。冷蔵庫の中を確認する。野菜を取り出す。器にとって置いた料理は腐っていた。
冷蔵庫にあった野菜を丸々使ってスープを作る。配るためのタッパーを用意する。
窓から街を見下ろす。公園の緑の向こうにビル群が見渡せる。ここが僕の家だ。
完全に日が落ちきる前の藍色の空を背に鉄道の架線がシルエットとなって浮かぶ。
通りで煙草を吸っているスーツ姿のセドリック(Cédric Luvuezo)が家を出て来たステファンにここだと声をかける。セドリック! よう、不眠症。ヴァカンスの準備は? いつ出発? 月曜に。ステファンがセドリックにタッパーの入ったビニール袋を渡す。スープ。スープ? 自家製? そう、自家製。出かける前に冷蔵庫を空にしなきゃならなかったから。ありがとな。じゃ、行こうか。

 

ブリュッセル。ヴァカンスに入り、建設作業員たちは帰郷したり旅行したりで散り散りになる。ステファン(Stefan Gota)はルーマニアの実家に自動車で戻ることにしている。家を空けるため、冷蔵庫にあった野菜でスープを作り、レストランで働くセドリック(Cédric Luvuezo)、自動車整備工のミハイ(Teodor Corban)、姉のアンカ(Alina Constantin)らにスープを配る。その際ステファンは都会の中にある自然の中を歩いて巡る。市民農園では野菜を作っている女性(Saadia Bentaïeb)に、そして森の中では苔を研究している学者(Liyo Gong)に出遭う。

(以下では、冒頭以外の内容について言及する。)

ステファンや登場人物の姿とともに、あるいはそれ以上に、建設中のビル、架線や鉄道、樹木や草などの植物、公園や森、都市の光景がじっくりと映し出される。それは何故か。蘚苔類学者の呟く詩に答えはある。
ある朝深い眠りから目覚めると、パニックに陥る。身の回りにある物の名前が思い出せなくなっていたのだ。目覚まし時計を見て、それが何であるかは分かる。しかし、その名前=言葉が思い出せないのだ。落ち着きを取り戻し、横たわったまま、名前=言葉がない世界を見渡す。そのとき動物のような感覚になる。部屋全体が自分の一部であるかのように感じる。自分は目覚まし時計でもある。私はそこにいながらそこにいなくなっている。遠くのサイレンの音で、名前が戻って来る。
この詩によって映画の主題は明確となる。名前=言葉とは切断である。名前=言葉を失うとき、私と物や空間と一体となる。私が世界とが不可分になる以上、私はもはや私ではなくなる。だから私はそこにいながら「私」という世界と区別された存在としては存在しなくなるのだ。
その感覚は、ステファンが作る、様々な野菜を全て煮込んだスープによって暗示されている。スープは世界の一体化の象徴なのだ。世界の一体化とは儚い夢である。だが、夢を見ることができる以上、そのヴィジョンを現実化する可能性はゼロではない。映画自体、世界が不可分一体となる夢である。だから、登場人物と人工物、植物、景観などが等価に映し出されるのだ。
映画『ツリー・オブ・ライフ(The Tree of Life)』(2011)などテレンス・マリック(Terrence Malick)監督作品の映像詩的作品群に比べ、より「幽けし」といった印象。人工と自然との区別なく美しく静謐な映像、風や虫たちの立てる微かな音へと耳を澄まさせるような音響効果、結末も含めて非の打ち所がない。