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芸術鑑賞の備忘録

展覧会 白井美穂個展『森の空き地』

展覧会『白井美穂 森の空き地』を鑑賞しての備忘録
府中市美術館〔2階企画展示室〕にて、2023年12月16日~2024年2月25日。

1989年~1996年の初期作品14点と2005年~2023年に制作された作品14点とを、Ⅰ「1日で世界を一巡り」、Ⅱ「往還」、Ⅲ「永遠の午後」、Ⅳ「河を渡る」、Ⅴ「森の空き地」の5章で紹介する、白井美穂の個展。

冒頭、金属製の皿と鍋敷き、それにレモンの皮を模したオブジェを付した皿《Circular Time》(2015)[Ⅰ/04]が壁に掛けられている。同心円の構造を持つ鍋敷き、種類の異なる4枚の円形の皿、それらに加え、1枚の皿に置かれた螺旋のように剝かれたレモンの皮が、他の皿の黄色い絵具と響き合い、黄色の象徴する光=時間が円環することを示している。なおかつその円環は時計回りとは限らない。絵具からレモン、あるいはレモンから絵具へと可逆的である。作家が大学時代に成川武夫の哲学の講義で知った、「昨日は今日をくやみ、朝は夕を後悔する事尤に候」という千利休の言葉に象徴される、可逆的で円環的な時間である。

《前へ前へとバックする》(1989)[Ⅰ/02]は、オレンジ色のスキー板4枚を「前方に横断歩道または自転車横断帯あり」を表わす菱形に並べるとともに、オレンジ色の板と鏡とを取り付けたポールを立てている。スキー板はチップとテールが重ねられ、明るいオレンジ色はやはり光を表わすのだろう。円環する光=時間は、鏡の作用により逆回転可能である。

クリスマス装飾に用いられるプラスティック製の樅の木12本を2列に並べ、それらを挟むように木製の椅子を6脚ずつ向かい合わせに12脚並べた《Table》(1992)[Ⅱ/10]もまた、12、24という12進法によって時間を表わしている。なおかつ、樹木と椅子という原料と製品という変化も無論、時間であろう。"Table"とは、時間(tiem)を表わす表(table)、すなわち時刻表(timetable)なのだ。《Six tables》(1991)[Ⅱ/07]において照明器具、すなわち光(=時間)とテーブル(表)とがやはり組み合わされているのが傍証である。

宇宙に輝く星々の光を捉えた写真に照明器具を取り付けた《Zero Light Year》(1992)[Ⅱ/8-9]。星降る夜空に対し、照明は落とされる。光は微塵も進まない。その光の移動距離を敢て0光年と表わすことで、写真に映る星の光に、その光の移動=距離に目を向けさせる。何故、それほどまで壁の高い位置に掲げられているかの所以である。鑑賞者を地上から天上へと打ち上げると言っても過言ではあるまい。阿木燿子なら「何億光年輝く星にも寿命があると教えてくれたのはあなたでした」と言うだろう(余談だが、映画『花腐し』(2023)における「さよならの向う側」には痺れた)。

時間の流れは川の流れに比せられる。頭髪(人工毛髪)を並べた瀧状のオブジェ《Waterfall》(1993)[Ⅱ/11]では光陰矢のごとし、秋の日はつるべ落とし、時間の急速に流れ落ちる様が表現されている。それが毛髪になることによって、「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」の『方丈記』よろしく、時間と人間とが繋げられる。《Mountain Moves》(2015)[Ⅱ/18]のケーキ型の山々のように、時間のスケールを人間レヴェルから地質学年代に引き上げれば、造山運動により人間には不動に見える大地でさえ動くのだ。

段ボール箱を汲み上げた壁面を背に置かれたテーブルに、4冊の本を組み合わせたオブジェが置かれる《卓上噴水》(1990)[Ⅱ/06]。開かれた本の文字は全て黒く塗り潰されている。キリスト教的な考え方に基づけば、神の言葉とは光でもある。すなわち文字を塗り潰された本は闇の象徴である。ここでも《Zero Light Year》)[Ⅱ/8-9]同様、反転して、放たれる光へと鑑賞者に目を向けさせる。あるいは、時間の始まり――それが存在するのかどうか――へと思いを馳せさせるのである。

生きているということは、常に変化しているということである。生命とは、時間である。作家が行うのは、時間を止めて、時間について、すなわち生命について思いを巡らせることではないか。それを象徴するのが、時間を象徴する鉄管が静止した《凍結時》(1989)[Ⅳ/16]であろう。それは、映像作品《Forever Afternoon》(2008)[Ⅲ/15]の描くように、時間の井戸の中で時間を汲み上げられるのかという問いにも連なる。

井戸の水の底で水を見上げる動作とは、全てが水として一体化しているということではないか。水とは、時間の象徴であり、光であり、生命である。そのことに気が付けば、個を超えて、種を超えて、生物と無生物との境界を超えて、全てが1つになる。《Anima Mundi》(2023)[Ⅳ/27]である。

作家に与えられた公案に、鑑賞者は頭をひねることになるだろう。向かうべきは、森の空き地である。