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芸術鑑賞の備忘録

展覧会『フランク・ロイド・ライト 世界を結ぶ建築』

展覧会『開館20周年記念展/帝国ホテル二代目本館100周年 フランク・ロイド・ライト 世界を結ぶ建築』を鑑賞しての備忘録
パナソニック留美術館にて、2024年1月11日~3月10日。

フランク・ロイド・ライト(1867–1959)について、代表作「帝国ホテル2代目本館」を軸に建築家・デザイナーとしてはもとより、浮世絵版画蒐集家としての側面など、日本との関わりを取り上げる。また、父祖の地の伝承や出身地の自然・文化環境が創作に与えた影響を明らかにする。「モダン誕生 シカゴ―東京、浮世絵的世界観」、「『輝ける眉』からの眺望」、「進歩主義教育の環境をつくる」、「交差する世界に建つ帝国ホテル」、「ミクロ/マクロのダイナミックな振幅」、「上昇する建築と環境の向上」、「多様な文化との邂逅」の7つのセクションで構成。
7つのセクションはそれぞれにテーマが設けられているが、大まかに時代に沿ってもいる。中心となるのは帝国ホテル2代目本館を紹介する「交差する世界に建つ帝国ホテル」のセクションである。模型や写真により建物について解説するだけでなく、家具や食器などのデザインを手掛けたことが実物により紹介されている。
写真、模型、家具、建築材料、映像などが並ぶが、一番充実しているのは解説である。但しスキャンダラスな事柄は一切省かれている。

プレーリーを原風景として育ったライトは、建築家となるべくウィスコンシン州からイリノイ州のシカゴへ出る。シカゴは1871年の大火をきっかけに「シカゴ派」により面目を一新し、人口を急増させていた(大火後の20年間に30万人から100万人に)。ライトは1887年にシカゴに移り、叔父の紹介で就職した設計事務所に就職、1年後、アドラーサリヴァン事務所に移籍した。シカゴ派を代表する建築家ルイス・サリヴァンはオーディトリアム・ビルに着手していた頃で、ライトは住宅を任されるようになる。1893年に開催されたシカゴ万博の交通館にライトは助手として携わった。シカゴ万博には藤原・足利・徳川様式の建物を渡り廊下で繋いだ日本館「鳳凰殿」が建設されているが、水平の拡がりや内外の有機的な繋がりは「プレイリースタイル」の特徴に通じていた。同年、ライトは事務所を介さずに設計を引き受けて契約を解除され独立した。

1906年のロビー邸がプレーリースタイルの住宅の傑作とされる。暖炉を中心とした回遊性のある建物は、屋根が浮遊するような軽やかな印象を持つ。屋根の張り出しにより直射日光を避けつつ、サンクンガーデンの石により輻射熱を確保し、窓の開放による通気性の確保するなど、快適な住環境に配慮されている。1911年にウィスコンシン州スプリング・グリーンにプレイリースタイルの新居「タリアセン」を建設。タリアセンは「輝ける眉」を意味する、父祖の地ウェールズの言葉に因む。ケルト文化における自然崇拝の多神教的世界観、輪廻転生の死生観などに馴染みがあったことが、日本文化に親和性が高かった理由として挙げられる。1905年~1922年にかけて7回日本を訪問したライトは、熱心な浮世絵の蒐集家であり、1906年にはシカゴ美術館で世界初の広重の回顧展に関わった。また、庭については造園家ジェンス・ジェンセンと協働している(ストーンサークルへの関心も共有)。

最初期の作品はヒルサイドホームスクール(1886)で、日本でも自由学園の校舎に携わるなど、ライトと教育との関係は深い。タリアセンの一部は一時期フレーベル恩物を用いた幼稚園として利用された他、寄宿制の建築学校としても使用された。
芸術家とは自然の外形を再現するのではなく慣習化抽象化することでその根底にある幾何学や構造を引き出し自然に近付くものだ、とライトは述べている。フレーベル恩物には親和性がある。

グッゲンハイム美術館のような螺旋状建築は、水平方向に十分な余裕のない敷地において連続性(continuity)と一体性(plasticity)とを実現する手段であったとの指摘が興味深い。

盛況で、フランク・ロイド・ライトの人気の高さを知った。