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芸術鑑賞の備忘録

展覧会『ガラスの器と静物画 山野アンダーソン陽子と18人の画家』

展覧会『ガラスの器と静物画 山野アンダーソン陽子と18人の画家』を鑑賞しての備忘録
東京オペラシティ アートギャラリーにて、2024年1月17日3月24日。

ガラス作家の山野アンダーソン陽子が、アンナ・ビヤルゲル、アンナ・カムネー、イルヴァ・カールグレン、イェンス・フェンゲ、カール・ハムウド、CM・ルンドベリ、ニクラス・ホルムグレン、マリーア・ノルディン、レベッカ・トレンス、石田淳一、伊庭靖子、小笠原美環、木村彩子、クサナギシンペイ、小林且典、田幡浩一、八重樫ゆいに描きたいガラス器について言葉にしてもらい、その言葉に基づいたガラス器を制作した。続いて、完成したガラス器を画家たちが描いた。さらに、画家のアトリエに置かれたガラス器を写真家の三部正博が写真に収めた。最後にデザイナーの須山悠里が書籍にまとめた。その過程で生まれたガラス器、ガラス器を描いた絵画、ガラス器のあるアトリエの写真に加え、センナイ・べルへによるガラス器制作現場を捉えた映像作品で構成される。

冒頭に飾られるのは、アンナ・ビヤルゲルの絵画《milk》(400mm×303mm)[01]。底に向かって窄まるガラスコップに牛乳が満たされている。コップはステンレス製の台に置かれているのか明るい灰色基調だが、ガラスとステンレス、そして牛乳から冷ややかな印象を受けず、むしろ温かみを感じるのは、下層にマゼンタが塗られているからである。コップに反射する光とコップによってできる影とが広がる。牛乳を注いだガラスコップは日常を、そしてその周囲の光と影とは素朴で単調な生活の起伏とともに、そのかけがえの無さを伝える。近くの台の上には山野アンダーソン陽子の《Drinking Glass for Anna Bjerger》(88mm×60mm)[16]が置かれる。牛乳を飲むための小ぶりなコップ、牛乳の冷たさを感じられる薄手のコップなどのリクエストをもとに作られたグラスは、透明度の高いクリアーガラスで、絵画で牛乳が注がれていた位置で膨らみ、底に向かって緩やかに窄まっている。絵画と異なり牛乳が注がれていないため、ポンテ跡がアクセントになっている、また、台上のグラスの作る影も別の角度から器形を伝える。台の近くの別の壁面には、三部正博のモノクロームの写真《アンナ・ビヤルゲルのアトリエに佇むガラス食器01》(1100mm×880mm)[02]が掛けられている。絵具が飛び散る台の上に置かれたコップは、周囲に置かれた瓶や缶、刷毛などが雑然と置かれた中で、小さなグラスはどんな絵具にも染まること無く、透明でありながら確かにその存在を主張する。若山牧水の短歌「白鳥は哀しからずや」を連想せずにいられない。

山野アンダーソン陽子が作家たちの言葉からどんな部分に着目してガラス器を制作したのかが紹介されており、実作にどのように表現されているのか見る楽しみがある。肥痩、漣のような景色など、ガラス器間の繊細な個性を見比べる愉しみももちろんある。そして、画家たちがガラス器をどのように絵画で表現するのかがまた1つの愉しみである。例えば、伊庭靖子や小笠原美環らがガラス器自体を直接的に描き出す一方、石田淳一がオレンジを載せた皿などとガラス器を並べてヴァニタスを制作し、小林且典がピッチャーに残された水の量を違えて心理的な問題を取り入れ、田幡浩一が構成の問題に取り組んでいる。CM・ルンドベリはピッチャーに注いだ水に海を見て、想像力逞しく室内に人魚や船長まで呼び込んでいる。イルヴァ・カールグレンはガラスを光と蔭の世界に、クサナギシンペイは色彩の乱舞へと抽象化する。アンナ・カムネーに至っては、ゼロから絵画を描くと言って、ガラス器が出来る前に絵画を描いてしまったらしい。