可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会 松平莉奈個展『3つの絵手本・10歳の欲』

展覧会『開発の再開発 vol.4 松平莉奈「3つの絵手本・10歳の欲」』を鑑賞しての備忘録
gallery αMにて、2024年1月20日~3月16日。

価値観が揺れ動く社会に対し、ソーシャリー・エンゲイジド・アートのように直接に関与するアプローチに限らず、造形的表現や美術史など広く美術において新しい認識や方法が求められている。「新しいことをするのは不可能である」と諦観するのではなく、「新しさ」をつくり出す「開発」を――例えば、リニアな思考に囚われることなく――批判的に読み替えることで「再開発」しようと試みる、展覧会シリーズ「開発の再開発」(キュレーションは石川卓磨)。その第4弾では、美術教育における3つの絵手本――『尋常小学図画』(1932)、『初等図画』(1937)、『西画指南』(1871)――に掲載された図をモティーフとした、松平莉奈の絵画を展観する。

初等教育における「絵手本」は、様々な文物を描いたイメージを写し取ることで描画の基礎を教えるものである。江戸時代には幕府のお抱え絵師集団は《探幽縮図》に代表される先達の絵を模倣することで絵を学んだ。家格が重視される社会において型を身に付けることは自らの絵師としての正統を示す意味があったのだろう。作家によれば、『西画指南』(1871)は、Robert Scott Burnの"The Illustrated London Drawing-Book"の川上冬崖による訳書であり、「日本の図画教育の起点となっている」と言う。美術という舶来の制度の移入に伴い、絵手本は伝統(幕府や朝廷に仕えた絵師たち)には求められなかったのである。
冒頭に掲げられた《わたしたちの手》(530mm×727mm)は、"The Illustrated London Drawing-Book"、あるいはそれに似た『尋常小学図画 第四学年児童用』に基づいた、手を描いた作品である。「ある手」とは「アルテ(arte)」すなわちartである。在来の絵師たちの画ではなく、ヨーロッパの技術(art)を導入したことが端的に示されている。
作家は「絵手本」が一種の百科事典として機能していたとも指摘する。教室に掲げられた「掛図」同様、博物図譜として生徒の知識欲を刺激し、満たしたのだろう。無論、博覧会、そして博物館に通じる帝国の眼差し(=支配)がそこは秘められている。故に作家は「これと筆一本があれば、世界のありとあらゆるものを描くことができる(そしてそのまま懐に収めてしまうことができる)」と指摘するのである。
幕府が諸大名に提出を求めた「国絵図」、海防の必要から松平定信が谷文晁に描かせた《公余探勝図巻》など地図や絵画は軍事的に重要である(その象徴が地図の国外持ち出しを巡るジーボルト事件である)。公教育に美術が導入されたのも、手に職を付けるというよりも軍事的な要請であったのではないか。
《venus kiss》(1303mm×1620mm)には、台の上に仰向けに倒れる幼い面持ちの兵士と、彼の顔に顔を寄せるヴィーナスの石膏頭像とが描かれる。アルブレヒト・デューラー(Albrecht Dürer)の《横たわる裸婦を素描する人(Zeichner der liegenden nackten Frau)》において横たわるモデルの女性と彼女を凝視する画家の男性との役割を男女で反転させて描いた作品と言えそうだ(因みにフランス語やイタリア語ではフランス・イタリア・ギリシャなどが女性名詞なのに対し、日本は男性名詞である)。石膏像と少年兵はそれぞれ西欧と非西欧であり、眼差しの主体と客体、すなわち支配と被支配の象徴である。そこに『尋常小学図画 第三学年児童用』の「戦争」と『初等図画 第二学年児童用』の「せんしゃ」から取り出した兵士たちのイメージを細い紐で表わし重ねるように描いている。眼差しないし支配を巡る争いが強調される。
《わたしたちの手》の手と《venus kiss》の兵士だけでなく、《コンパスでかかないもよう》(1455mm×894mm)の幾何学模様、《花》(1500mm×500mm)や《目線の高さに花》(530mm×727mm)の花、《オーロラのあなた》(530mm×727mm)の蜻蛉についても、3種の絵手本からのイメージが紐ないしロープで描かれている。綱引きか、救命ロープか定かでは無いが、視界に纏わり付き、こんがらがった印象を生む。なおかつ《venus kiss》以外の作品では白い紐が焦げて所々焼き切られている。砲艦外交により断ち切られた伝統か。花が爆発や「散華」、蜻蛉が戦闘機ならなおのこと焦(きな)臭い。あるいは絵手本に縛られた状況自体を断ち切る意図があるのであろうか。