可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

映画『DOGMAN ドッグマン』

映画『DOGMAN ドッグマン』を鑑賞しての備忘録
2023年製作のフランス映画。
114分。
監督・脚本は、リュック・ベッソン(Luc Besson)。
撮影は、コリン・ワンダースマン(Colin Wandersman)。
美術は、ユーグ・ティサンディエ(Hugues Tissandier)。
衣装は、コリーヌ・ブリュアン(Corinne Bruand)。
編集は、ジュリアン・レイ(Julien Rey)。
音楽は、エリック・セラ(Éric Serra)。
原題は、"Dogman"。

 

不幸な者のあるところ、神は須く犬を遣わす。ラマルティーヌ。
ニュージャージー州ニューアーク。夜、大雨の中、警察官が検問を行っている。被疑者は白人、30代でおそらく銃を所持している。1台のトラックがやって来る。警察官が停止を促す。運転していたのは金髪のウィッグを被り、ピンクのドレスを着た人物(Caleb Landry Jones)だった。身分証と車両登録証を提示して下さい。すいません、急いで家を出たので何も持ってないの。積荷を改める間、車を降りて頂きたいんですが。私があなたの立場だったらそんなことしないわ。リヤドアを開けると多数の犬がいた。見えるように手を上げて。ダッシュボードに手を置きなさい。私の言うことが聞こえてるか? 運転手は煙草を取り出す。火を持ってないこと? 
エヴリン(Jojo T. Gibbs)が自宅で眠っていると電話が鳴る。何の話? 午前2時よ。分かった。エヴリンが電話を切り、起き上がる。息子がベビーベッドに立ち上がっていた。
母さん、行かないと。どうしたの? 拘置所で緊急の案件。連中は煩わしい仕事があると連絡してくるのね。選り好みできないわ。
エヴリンが拘置所を訪れる。どういったご要件で? エヴリンが受付の警察官に尋ねられる。連行されたばかりの被疑者の件で。ピンクのドレスを着た。ああ、これだな。警察官はエヴリンに資料を渡す。女性警察官に拘置所内に案内される。部屋に入ると、車椅子に坐った人物は壁に向かい、背を向けていた。背中を怪我している。医師のエヴリン・デッカーです。名前を教えてもらえる? 答えることも振り返ることもなく煙草を吸っている。煙草は身体に良くないし、ここは喫煙が許されていませんよ。ご迷惑かしら? それほどでも。どうもね。ようやくエヴリンに向けた顔は微笑んでいる。手間を取らせて申し訳ないわね。私は病気じゃないの。疲れているだけ。正確には精神科医です。同僚たちでは対処できないと呼ばれたんです。病棟か監房かどちらに入れるべきか判断が付かないと。あなたが何者かを知りたがっているんです。責められないわ。金髪のウィッグを外し、インナーキャップを取り、短髪の地毛を見せる。扮装するのはずっと好きだった。扮装するのは自分が何者か分からないから。過去を忘れるために衣装を纏って過去を捏ち上げるの。扮装することは自分に嘘をつくことになるかしらね? 状況によるでしょう。一般的には扮装は見たくないものを隠しておくために用いられます。面白いわね。私は誰か別人になる方法だと思ってたの。僅かな時間でも自分じゃないって思えることって楽しいわ、たとえただの幻想だと分かっててもね。大丈夫ですか? ええ。ちょっと物思いに沈んでね。先生は人生を愛してるの? ええ。紆余曲折はあります。家族は貧しかったけど、両親は常に最善を尽してくれました。大学に入学することができて暮らし向きは良くなりました。愛は手に入ったの? ええ、9ヵ月の息子がいます。良かったわね。結婚は? 離婚しました。川は常に穏やかに流れるわけではないわ。あなたの質問に答えましたから、あなたも私の質問に答えてもらえますか? ごめんなさい、質問は何でしたっけ? あなたの名前を。ダグ、ダグラス。誰も呼ばなかったけど。子供はいますか? 何百も。犬のことを言っているんですか? ええ、子供同然なの。数え切れないほど救われたわ。人間よりも犬を愛していると? 絶対にそう。人について知れば知るほど、ますます犬が好きになったの。人間にはない犬の特性って何ですか? 自惚れることのない美しさ、野蛮ではない力強さ、獰猛さではない勇気、人間の美徳を邪悪さを伴わず持ち合わせてる、私の知る限り欠点は1つだけ。それは何ですか? 人間に忠実だってこと。

 

ニュージャージー州。廃校になったコーンウェル高校の廃墟でエルヴェルドゥーゴ(John Charles Aguilar)が率いるギャングが惨殺された。州警察の検問で、多くの犬を載せたトラックが見つかる。運転するのは金髪のウィッグを被りピンクのドレスを身につけた男(Caleb Landry Jones)で、怪我をしていた。まともに取調に応じない被疑者に匙を投げた捜査官は、精神科医のエヴリン(Jojo T. Gibbs)に事情聴取を委ねることにする。エヴリンが拘置所に向かうと、車椅子の被疑者は煙草を吸っていた。エヴリンが喫煙を黙認し、被疑者からの質問に答えるうち、エヴリンの痛みを直観した被疑者はダグラスと名乗り、来し方を語り始めた。闘犬で生計を立てていた父マイク(Clemens Schick)は酷薄な人物で、闘争心を搔き立てるために犬に餌を与えなかった。兄リッチー(Alexander Settineri)に犬の餌を隠し持っていることをバラされたダグラス少年(Lincoln Powell)は父親に犬の檻に監禁され、マイクの非道に耐えかねた母(Iris Bry)も家を出て行ってしまった。

(以下では、冒頭以外の内容についても言及する。)

父親に銃撃され脊椎に損傷を負ったダグラスは、孤児院で1人読書をして過していた。ある日演劇のワークショップを担当していたサルマ・ベイリー(Grace Palma)に誘われ、シェイクスピアの世界を知る。サルマから化粧の仕方を教わり、鏡に映る姿こそ真実で私たちが鏡像のコピーに過ぎないとの反転した世界の見方を知らされる。
サルマはボストン郊外の劇団に所属することになり孤児院を去る。ダグラスはサルマの記事をスクラップし続け、サルマがブロードウェイに進出したことを知る。ダグラスは犬の保護施設を切り盛りして5年ほど経って、一念発起してブロードウェイにサルマの舞台を観に行く。楽屋を訪問したダグラスをサルマは歓迎してくれたが、彼女のお腹には劇作家ブラッドリー(Tom Leeb)の子が宿っていた。サルマに片想いをしていたダグラスは、所詮は車椅子の男として憐れみを受けるだけの存在だと打ち拉がれる。
失意のダグラスに追い打ちを掛けるように犬の保護施設の廃止が決まった。廃校になったコーンウェル高校の廃墟を密かに拠点とするが、職探しがうまくいかない。そんな中、キャバレーのステージに立つチャンスを摑む。
悲惨な境遇を犬とともに生き抜くダグラスを演じたCaleb Landry Jonesがとにかく素晴らしい。とりわけÉdith Piafの"La Foule"のパフォーマンスは圧巻。鏡に映る像――扮装している姿、舞台に立つ姿――こそ真実なのだということを鮮やかに示している。そして、dogはgodへと反転し、犬たちを導いたダグラスは犬たちによって神の元へと導かれるだろう。
ライターをくれる警察官、ダグラスの話を真剣に聞くエヴリン、キャバレーでダグラスを支えるドラァグクイーンたち。ダグラスの味方の存在も救いである。