展覧会 山下耕平個展『底裏の間』を鑑賞しての備忘録
ギャラリー58にて、2024年3月14日~23日。
鉛筆を手にした人物など、主に人物を描いた絵画で構成される、山下耕平の個展。
メインヴィジュアルに採用されている表題作《底裏の間》(563mm×455mm)には、画面中央下に白いTシャツにデニムのパンツを履いた人物が正座して筆記具を手に何か書き付けて――あるいは描いて――いる。卓は存在せず、空気の卓の上で作業している。目元は影になり、人物の表情は窺えない。ペンを走らせ続けるためだろう、ペン先からは摩擦熱で煙が上がる。それでも作業を止めることができないのは、左手が多数の紙テープでがんじがらめになっているからだ。画面の上部には演壇のような白い四角を中心に、その周囲に弧状に黒い板あるいはカードが6枚並んでいる。中心に裁判長、周囲に陪席裁判官の居並ぶ法廷の裁判官席のように見える。あるいは監獄の一望監視装置かもしれない。ペンを握る人物は裁きを受けるか、あるいは独房にいる姿を見張られているのである。
裁きを受ける、あるいはビッグブラザーに見られているという強迫観念は、《皺くちゃの思想》(1020mm×911mm)にも表現されている。赤い画面の中央下の人物は筆記具を持つ手が複数描かれ、必死に作業する様を漫画のように表わしている。人物に重なるように黒い影となった顔が重ねられている。
独房にいる人物を描いているように見えるのは《自失の模様》である。白い空間に両脚を抱えるようにして蹲る人物が2枚の画面(各1271mm×890mm)に分けて描かれ、その2枚の間にはカーテンのかかる窓の傍でやはり膝を抱えて蹲る人物が描かれている(416mm×540mm)。映画の寄り画の2画面分割映像と寄絵と引画のモンタージュを3枚の絵画でやってのけている。
《ポカ》(910mm×910mm)は白いTシャツとデニムのパンツの人物が片膝立ちで両手の指先を合せている。両手や左足の大きさと、その手や皺に描き入れられた皺が印象的である。《バックプリント》(911mm×668mm)には顔を両手で覆う人物の上半身が描かれるが、巨大な両掌と手指の皺がやはり目を引く。
手や皺に対する執着から触覚に対する強い関心が窺える。実際、作品は直接画布に描かれるのではなく、別途描いたものを画面に貼り付けて制作されているのだ。絵具は筆によって画面に定着されるものから手を使って画面に貼り付けられていくものとなる。絵具の重なりによって絵具自体の物質感が強調される。《自失の模様》において映画のように1枚の画面に「2画面分割映像」と「モンタージュ」とを施さず、3つの画面に分割したのも、イメージないし映像ではなく絵画という物体であることに固執しているからではないか。全てが液晶ディスプレイの平滑なイメージに飲み込まれる状況に、触覚を用いて異議を申し立てているようだ。次々と現われるイメージの濁流に呑み込まれることなく、生きている実感、手触りを追い求めている。そのために作家は筆記具を握り続ける。