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芸術鑑賞の備忘録

展覧会 飯田美穂・石井海音・黒宮菜菜三人展『The Three Graces』

展覧会『飯田美穂・石井海音・黒宮菜菜「The Three Graces」』を鑑賞しての備忘録
三越コンテンポラリーギャラリーにて、2024年4月3日~15日。

人々の「寝る」姿を描いた名画に取材した飯田美穂、大きな目を持つ少女をモティーフに映像を主題とする石井海音、蝋で固めた画面に描画する黒宮菜菜の3名の絵画を展観。

飯田美穂は人々の「寝る」姿を描いた名画を題材にした絵画のエッセンスを提示する。《Image, Louvre, Eugene Deveria》(608mm×725mm)は、ウジェーヌ・ドゥヴェリア(Eugène Devéria)の《Jeunes femmes assises》(1827)を単純化した作品。椅子に坐る女性が右肘で頭を支えて眠りに落ち、彼女の隣ではもう1人の女性がやはり椅子の背に凭れてまま眠っている。女性の顔は、2本の短い線による目と赤い点の口のみで、平安絵巻の引目鉤鼻よりいっそう簡素である。また、ドゥヴェリアの作品では鏡の蔭から若い紳士が女性の様子を窺っているが、飯田作品では男性は暗がりの中に表わされていない。他方で、絵画の額縁までも作品の中に描き出している。《Image, Henri Toulouse-Lautrec》(912mm×1166mm)の1点は、アンリ・ド・トゥールーズロートレック(Henri de Toulouse-Lautrec)の《Dans le lit》(1893)に基づく。ベッドで枕を並べて眠る2人の人物が布団から顔を出している。これと近しい主題・構図の作品が、2人の幼児が眠る、国立西洋美術館所蔵《眠る二人の子供》(1612-1613)に基づく《Image, Rubens》(457mm×532mm)である。両作品では寝具は眠る顔をトリミングするための装置となる。《Image, Louvre, Fragonard》(608mm×727mm)は、ベッドで女性が幼児のような天使に脱がされている場面を描いた、ジャン・オノレ・フラゴナール(Jean Honoré Fragonard)の《La Chemise enlevée》(1770)を金色の額縁ごと写し取ったもの。フラゴナールが女性の臀部から脚を浮かび上がらせるべく女性と天使の顔を影の中に落とし込んだのに対し、作家は光溢れる中、女性が天使を持ち上げてあやすようである。女性が作者や鑑賞者の視線の客体から、天使を見詰める主体へと反転している。《Image, Harunobu Suzuki》(726mm×910mm)は、鈴木春信の浮世絵版画(1768-1770)を下敷きにした作品で、春信からジュリアン・オピー(Julian Opie)に近付いている。春信は家具調度の幾何学的な線により、男女が坐って口付けを交わす口元に視線を誘っていたが、作家は頬を寄せ合う形に変更している。同題・同サイズの《Image, Henri Toulouse-Lautrec》(912mm×1166mm)のもう1点は、ロートレックの《Au lit le baiser》(1892-1893)に取材し、ベッドで抱き合い口付けを交わす男女を描く。淡い色彩であっさりと描かれた上に、滲みや垂れるなどもあり、エドヴァルド・ムンク(Edvard Munch)の水彩画のような風情である。上記作品はいずれも油彩作品だが、《Untitled, mirror》(312mm×225mm)は紙の作品。喜多川歌麿の「ねがひの糸ぐち」シリーズの1点の一部に基づく。鏡とそこに映った女性の右足だけをトリミングしつつ、黄とピンクのトレーシングペーパーを重ねて貼ることでまぐわう男女を抽象的に表現している。

石井海音の絵画には、顎から頬にかけて緩やかな円弧を描く線に、下に凸の二次曲線の頂点がほとんど接するような縦長の大きなな目を持つ漫画キャラクターのような少女が登場する。《スクリーン》(325mm×440mm)には、粉雪の舞う中、紫のハイネックのセーターを着た「少女」の胸像が左に45度傾いて描かれている。下に大きな指と液晶ディスプレイの枠が覗くことから、スマートフォンあるいはタブレットのカメラで目の前の少女を映し出している場面と考えられる。少女に降りかかる粉雪は、画面の中のみならず、少女に向けられたスマートフォンあるいはタブレットにも舞い散る。雪が画面の内外あるいはイメージと現実とを繋ぐ。《瞳を泳ぐ》(530mm×455mm)には、葉のパターンのデザインされたやや淡い青紫のシャツを着た「少女」の両目に、海を背にした白いワンピースの少女の姿が映る(同題・同サイズで「少女」の顔を大きく表わした作品が隣に並ぶ)。青紫のシャツの「少女」と瞳の中の白いワンピースの少女とは同じ向きに髪が靡く。《スクリーン》同様、《瞳を泳ぐ》でも瞳の内外、イメージと現実とに同じ風が吹く。その不可視の風を可視化すべく、波飛沫と思しき銀色の粒が画面に散らされている。《外に出たい手》(1120mm×1940mm)の画面は左右に2:1に分割され、左側の画面には右手を軽く顎を支える「少女」の顔を、右側の画面に2階建ての建物の6つの窓からそれぞれ突き出された腕が描かれる。どちらにも大きな銀杏の葉が舞い、そのうち1枚が左右の画面の境界に跨がるとともに、「少女」の顔と建物の壁面に銀杏の樹と思しき斑の影が映ることで、2つの場面が同じ場所である可能性を示唆する。建物の窓から伸ばされる腕は、スマートフォンを操作するディスプレイ越しのコミュニケーションのメタファーであろう。映像を介さない現実の接触を求めているようだ。《外は寒いのので中に入れて下さい 1》(1455mm×1455mm)には、雪の舞う高原ないし山間部の集落にある1軒の民家の結露した窓から「少女」が外を眺める姿が描かれる。「少女」が手でガラスを拭い、曇りが消えた部分に紫の壁紙を背にした「少女」の姿が現われる。曇ったままの窓は鏡のように窓外の集落の景色を映し出す。すっかり葉を落とした街路樹の向こうに似たような木造の民家がいくつも姿を見せる。雪によって覆われ始めた道ではケンタウロスが「少女」に向かって右手を挙げている。「少女」は無表情でその心の裡は読み取れない。《外は寒いのので中に入れて下さい 2》(1455mm×1120mm)は、《外は寒いのので中に入れて下さい 1》に姿を現わしたケンタウロスの胸像。ケンタウロスの目には家の中から姿を見せた少女の姿が映っている。目の映像とともに、降りかかる雪が2つの世界を繋ぐ。屋内の「少女」と屋外の異形の存在との邂逅は、移民や難民の受け容れのメタファーであろう。戸惑っているようにも見える「少女」に対し、ケンタウロスの微笑みが事態の好転への兆しを示唆する。

黒宮菜菜は蝋を用いた画面で絵を生み出す。「Whaite scratch」シリーズは、蜜蝋では固めた画面を削ることでモティーフを表わしている。《Whaite scratch―袖を振る》(235mm×285mm)はベージュの画面を削って女性が舟(円弧)の上に立ち腕を羽搏くように上下に振る姿が下地の黒い絵具によって描き出される。《Whaite scratch―魂の舟》(235mm×285mm)は舟の上の馬と鳥の姿がベージュの画面に暗赤色で彫り出される。《空(から)の馬、空(から)の舟 #2》(740mm×920mm)の、葦や日陰鬘といった植物がその形が浮き立つように蝋で塗り込められたごつごつした画面には、赤みがかった色彩で舟の上に立つ馬と馬の首を撫でる(?)女性の姿がぼんやりと浮かび上がる。《船に乗る》(1325mm×1640mm)の、葦、薄、日陰鬘、定家葛、米、大麦、粟、黍、大豆、小豆を蝋で固めた凸凹の暗緑色の画面には、水辺に浮かぶ船に横たわる女性と、周囲の草叢の鳥たちの姿が白く表わされる。《空の馬、空の舟 #2》や《船に乗る》のモティーフは画面からある程度離れないと認識できない。実際の植物を画面に塗り込めるという制作の過程には儀式を想起させるのみならず、舟(船)・鳥・馬といった魂を運ぶモティーフと相俟って、作品と距離を取らせて近寄り難くする仕掛けは、作品に神聖さを吹き込んでいる。