可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

本 岡田温司『キリストと性――西洋美術の想像力と多様性』

岡田温司『キリストと性――西洋美術の想像力と多様性』(岩波新書〔新赤版1992〕/岩波書店/2023年)を読了しての備忘録

男性中心主義の教理を有するキリスト教にはかつて多様な性の有り様があったことを、中世からルネサンスにかけての土着ないし異端の絵画・彫刻を通じて示す。使徒ヨハネイスカリオテのユダ聖母マリアそれぞれとキリストとの関係を紹介する第Ⅰ部と、女性・母胎としてのキリストや、三位一体に両性を組み込む女性としての精霊、さらにはその聖母マリアとの繋がりを明らかにする第Ⅱ部の2部構成。口絵22点を始め図版多数。

目次
はじめに
第Ⅰ部 クィアなキリスト
 第1章 キリストとヨハネ
 第2章 イスカリオテのユダとキリスト
 第3章 マリアとキリスト
第Ⅱ部 交差するジェンダー
 第4章 もしもキリストが女性だったら
 第5章 「傷(ウルヌス)」、「子宮(ウルウァ)」、「乳首(ウベル)」
 第6章 「スピリット」とは何か
おわりに
参考文献

第1章「キリストとヨハネ」では、「最後の晩餐」に描かれるヨハネが女性的に表現されその性が曖昧にされているのみならず、キリストとの愛を巡りマグダラのマリアとライヴァル関係にあったとの語りが存在した。第2章「イスカリオテのユダとキリスト」では、、ユダがキリストにキスする姿が描かれる「キリストの捕縛」の絵画を中心に、キリストが肉体を神に引き渡す(十字架にかかる)べく裏切り者の役割を特にユダに担わせたキリストとの特別な関係が示される。第3章「マリアとキリスト」では、マリアがキリストの母であるのみならず教会に擬えられ、かつキリストが教会を花嫁と捉えた場合に花婿とされることから、マリアはキリストの妻であると解釈されたことが「聖母の被昇天」の図像で明らかにされる。第4章「もしもキリストが女性だったら」では、キリストは必ずしも男性である必要はないという想像力が、結婚を拒み十字架にかけられた女性ウィルゲフォルティスの伝承との混同を生じさせ、異性装のキリスト磔刑図が描かれたことが引き合いに出される。第5章「『傷(ウルヌス)』、『子宮(ウルウァ)』、『乳首(ウベル』」では、十字架上のキリストの脇腹の傷が女性器として描かれた作例を通じ、傷口=女性器を通じたキリストとの一体化の理想が証される。また、母乳が月経として排出されなかった血液であるとの当時の生理学的理解から、キリストに豊かな乳房を具えさせることで聖母マリアの役割をも担わせた珍しい図像が紹介される。第6章「『スピリット』とは何か」では、精霊(スピリット)を愛(カリタスという女性名詞)や知恵(ソフィア、ホクマーといった女性名詞)と捉えたことから、精霊を象徴する鳩に聖母マリアが伴う「三位一体」の図像が描かれたことが語られる。

 ユダヤ教キリスト教における最初の人間アダムもどこかこれ〔引用者註:2つの性が分離する前の完全な人間の形象としてのアンドロキュノスの神話〕に近いところがある。神が自分にかたどって創造したというアダム、そしてそのアダム(の肋骨)からイヴがつくられることになるわけだが、そうであるからにはアダムのうちにすでに女性が存在していたことになる。しかも神がその原型である以上、神もまた両性をあわせもつ存在である。こうした神やアダムの両性具有性もまた、グノーシス主義においては疑う余地のないこととされる。そこにはおそらくプラトン的な考え方もこだましている。
 あるいは、高名な宗教学者ミルチャ・エリアーデ(1907-86)も明らかにしたように、両性具有における反対の一致という深遠な理念は、ギリシア神話ユダヤキリスト教だけに限らず、およそあらゆる宗教に通底する文化横断的な神話の原型とみなすこともできるかもしれない(『悪魔と両性具有』)。(岡田温司『キリストと性――西洋美術の想像力と多様性』岩波書店岩波新書〕/2023/p.166-167)

オクシモロン(oxymoron)は両立しない言葉を結び付けることによる意外さにはっとさせる効果を生む。オクシモロンをシェイクスピアが多用するのは、両立しないことの中にこそ真実があると考えているからだろう。「両性具有における反対の一致」の普遍性に通じる。

 キリスト教にはもともと「~でないもののように(ホース・メー)」という開かれた教訓がある。あまり聞きなれない言い回しかもしれないが、たとえば、男は男でないもののように、日本人は日本人でないもののように、考えたり行動したりできるということである。つまり、わたしたちが生きていくうえで求められているのは、自分とは異なったり反対だったりするような、さまざまな立場の他者の存在をいかに想像し尊重できるか、ということである。(岡田温司『キリストと性――西洋美術の想像力と多様性』岩波書店岩波新書〕/2023/p.205)

キリスト教でないかのようなキリスト教の図像を通じて、想像力の可能性を詳らかにする好著である。