映画『A GHOST STORY ア・ゴースト・ストーリー』を鑑賞しての備忘録
郊外にある少々くたびれた一軒家に暮らす音楽家C(ケイシー・アフレック)とその妻M(ルーニー・マーラ)。Mは転居を希望しているが、Cはその家に惹かれるものがあり、妻の希望に添えないでいた。ある晩、遂にCが転居の決意をMに伝える。すると深夜、移り住む前からこの家に置かれていたピアノが誰も居ないリビングで突然音をたてる。それから間もなくして、Cは自宅前の道で交通事故で亡くなってしまう。病院でMがCの遺体を確認した後、シーツをかぶせられたMは起き上がり、そのままMのいる家へと歩いて向かう。
ベッドで抱き合う夫婦や、Cの遺体が置かれた病室、キッチンで差し入れの食事を貪る妻など、カメラが固定されて静かに時が経っていく場面が多く挟み込まれる。カメラが動かないことで、些細な変化がより大きなものとして感じられる。また、Cの遺体の置かれた病室での、病室の明いた扉、半分ひかれたカーテン、覆われたシーツというような、ヴィルヘルム・ハンマースホイの絵画に通じる静謐さを湛えながら、手前から奥へと複数の空間を貫く視線を誘うような場面も多く見られる。見えないものへの知覚を刺激するつくりになっている。
シーツをかぶった亡きMには表情がない。目に当たる部分の布がくり抜かれているだけだ。ただその振る舞いは人間的で、悲しくも愛らしくもある。フィジカルな世界にどこまで介入できるのか曖昧で、一見して矛盾していると思われる箇所もあるが、ファンタジーとして許容してしまう。
シーツをかぶる幽霊という発想はどこから来ているのだろう。シーツをかぶったおばけというと、ディック・ブルーナの、愛らしいミッフィーの絵本を思い出す。
幽霊を描くことは、かつて存在したであろう者に対する思慕だ。例えば、開拓地で不慮の死を遂げた少女を描く映画は、幽霊を実体化しているのだ。その意味では、あらゆる芸術表現はほとんどが幽霊を描いているのと変わらない。