展覧会『あざみ野フォト・アニュアル とどまってみえるもの』を鑑賞しての備忘録
横浜市民ギャラリーあざみ野にて、2021年1月23日~2月14日。
「写真の在り様を拡張し続けている」作家を紹介する展覧会(企画は、天野太郎、佐藤直子、日比谷安希子、菅沼比呂志)。川島崇志の《Unfinished Topography / Collection TOLOT, Tokyo》など11点、宇田川直寛の「Backward Walking Problem / 後ろ歩き問題」シリーズからの11点、平本成海の「PRIVATE VOYGER」シリーズからの8点、チバガクの「study(m, g-itbd)」シリーズからの6点、新居上実の「家」シリーズからの8点、木原結花の行旅死亡人をモティーフとしたインスタレーション、吉田志穂の「測量|山」シリーズからの9点。
川島崇志
作家のコーナーの中央には、写真を貼り付けた角材を乱雑に積み上げた《Unfinished Topography / Collection TOLOT, Tokyo》が設置され、来場者の目を奪うとともに、カタストロフを想起せざるを得ない。壁の掲げられた無題作品に記されている文章(It's the mouth of a volcano...)は、スーザン・ソンタグ(Susan Sontag)の小説"The Volcano Lover"の引用だろうか。その左隣には、「描きかけの地誌/蒐集」シリーズの《On table》は、テーブルの上に並べられた多様な日常的なガラス容器を撮影したモノクロ写真が掲げられている。瓶の口が開いているのは、火口を示すのだろうか。別の壁面に掛けられ、目を引くのは、《A Crater Lake #001》。眼にも女性器にも見える、艶めかしいカルデラ湖をとらえた写真。
「地図は領土よりも興味深い」シリーズは、ミシェル・ウエルベック(Michel Houellebecq)の『地図と領土(La carte et le territoire)』に登場する作品に基づいたものだという。
宇田川直寛
「後ろ歩き問題」シリーズの《Good View》は、切れ込みや罅などダメージ加工を施したような紙に、褪せた青とエメラルドグリーンを塗った抽象絵画のような作品。上下に太く、左右に細く白い縁を配することで、紙焼き写真の印象をつくっている。中平卓馬の晩年の風景写真に「主題/主体という役割を担うものがそもそも存在しないよう」に思われたことをきっかけに、「ただの風景のままの写真」を目指して制作されたものだという。作家は、風景の背景(?)を撮影した写真のネガに穴を開け、その部分に別のネガのパンチ滓を充て、それをスキャンして現像して着彩し、段ボールに貼って…といった極めて複雑な工程でこの作品を制作したらしい。その工程は、都市風景の中に、誰かにとって問題を感じるものが存在したら、それを取り除くということの繰り返しという作業の類比となっているように思われた。公共空間の景観は、誰にとっても害のない、「ただの風景」となっていくという予感。《Good View》とは、未来の都市の相貌であろう。
平本成海
地方紙の写真をデジタルカメラで撮影し、「固有名詞を持たない」イメージへと改変する作家の日課により生まれた作品群。「PRIVATE VOYGER」と題されているのは、私的な作業を展覧会で公表することが、NASAのボイジャー計画の「メッセージボトル」的な試みのアナロジーとなっているからだという。デジタルカメラは新聞紙の薄い紙面の裏の文字までを写し取り、新たに生み出されたイメージに「紙背文書」のような痕跡を残す。この痕跡が「解剖台の上でのミシンとこうもりがさの不意の出会い」のように日常からの切断と異物への接続とを強調し、不気味なもの(das Unheimliche)の感覚を生み、あるいは、ロシア・アヴァンギャルド建築のアンビルドのようなパラレル・ワールドへと誘う。
チバガク
「study(m, g-itbd)」シリーズの"g"系統の作品においては、住宅街の風景を撮影したイメージにデジタル加工を施したものであることが分かるが、同シリーズの"m"系統の作品においては、デカルコマニーの様相を呈し、もはや何をモティーフとした作品かは分からない。作家にシャッターを切ることを迫った「なんだかよくわからないけど、たしかにそこに存在するもの」を、作家が依代となって表す試みなのだろう。「見えない風景」の写真である。
新居上実
「家」シリーズは、家や室内の模型を撮影した作品群。気泡緩衝材で家の模型を梱包した作品は、コロナ禍における外出自粛を端的にイメージさせる。孤立し、明かりの消えた室内に、不穏な物語を読み取ろうとしてしまうのは、他の作品の影響もあるだろう。ちゃぶ台がひっくり返っていたり(家庭内暴力)、やたら大きい酒瓶がテーブルを占拠していたり(アルコール依存)、トルソのようにも見えるが不定形のよく分からない白い固まり(人を歪めるような表現が秀逸)が室内の椅子やベッドを占拠していたり(顔をつきあわせるストレス)と、コロナ禍における「巣籠もり」がもたらす問題がそれぞれ描き出されているからだ。
木原結花
官報に掲載されている行旅死亡人の情報を元に、遺体の発見現場に赴いて、フォトモンタージュによる「遺体」をサイアノタイプで感光させ、現像させたもの(このシリーズとは別に、行旅死亡人の情報とフォトモンタージュを組み合わせて額装したシリーズも壁に展示されている)。光の当たり具合、風の影響などで「遺体」写真の出来は様々である。それらは棺に見立てた低い台に「仰向け」に展示されている。見えないものを見えるようにする、一種の「心霊写真」である。梱包されて不可視にされた死を開封するかのように、社会における生と死とを接続し直し、生死の再考を促す試み。「棺」の手前には、官報における公告のコピーが展示されている。縦書きの体裁の官報に行旅死亡人についての情報が横書きに記されていること自体が、「横死」をイメージさせるようで興味深い。
吉田志穂
写真を壁面に掛けるだけでなく、床に設置した傾斜を付けた台にも置いている。さらに、吹き抜けの上階の壁にもプロジェクターで作品を投影している。記憶媒体の中に蓄積された大量のイメージを「山」に見立てるという意図で制作されたインスタレーションとのことだが、その意図を汲むことは叶わなかった。