可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会 瀬戸正人個展『記憶の地図』

展覧会『瀬戸正人「記憶の地図」』を鑑賞しての備忘録
東京都写真美術館にて、2020年12月1日~2021年1月24日。

瀬戸正人の写真展。長時間にわたる女性のバストアップ写真の撮影で期せずして浮き上がった表情をとらえた「Silent Mode 2020 [2019-2020]」(28点)、国内外から東京への移住者をその居住空間とともに記録した「Living Room, Tokyo [1989-1994]」(11点)、台湾郊外の「ビンラン・スタンド」に佇む艶めかしい売り子の女性たちの姿を収めた「Binran [2004-2007」(11点)、作家が青春時代を過ごした福島の風景写真で構成される「Fukushima [1973-2016]」(16点)、公園や河川敷の緑地でレジャーシートに身を寄せるカップルを撮影した「Picnic [1995-2003]」(13点)、作家の生地バンコクと母の親戚の住むハノイの姿を伝える「Bangkok, Hanoi [1982-1987]」(26点)の6つのシリーズ(計105点)を紹介。

 

「Picnic」シリーズで撮影されているのは、緑地に敷いたレジャーシートで身を寄せ合うカップルの姿。レジャーシートを敷くことは結界を張ることであり、二人のためのシェルターを築く。だが壁も柱も屋根も無いシェルターは、二人を周囲からの視線に曝しており、二人が演者となる仮設の舞台ともなる。つかの間姿を表す劇場。「消えそうに淡く、そして危ういその瞬間こそが『写真』かもしれません」とは作家の弁。
「Living Room, Tokyo」シリーズでは、人物をその居住空間とともに撮影するもの。部屋には、住人の時間が堆積しており、家具調度や商品や衣類、コレクションに至るまで生活の痕跡が留められている。それに対して「Silent Mode 2020」シリーズでは、カメラに対峙する女性が、撮影が長時間にわたる中、作り上げていたイメージを綻ばせる瞬間に現れる捉えどころの無い感情をとらえている。両シリーズは、あたかも「ストック」と「フロー」との両面から人間をとらえる合わせ鏡のようだ。
「Binran」シリーズは、ガラス張りの「ビンラン・スタンド」(軽い酩酊感が味わえるビンロウの実を用いた嗜好品「ビンラン」の販売所)に佇む、売り子の女性たちの姿を収めたもの。「檳榔西施」とも称される彼女らは水着など肌の露出の多い出で立ちで座っている。「室内」で「肌」を見せる彼女たちの姿が、公開されているのだ。夜、様々な色の光に彩られる「ビンラン・スタンド」のガラスの壁面は一種の活人画と言える。


「Living Room, Tokyo」シリーズでは部屋の中を撮影することで、住人のプライヴァシーを曝き出している。また、「Picnic」シリーズは屋外の公園や河川敷といった公共空間に現れた仮設の擬似的な私的空間(例えば、制服姿のカップルの女性が手で顔を覆う仕草によって「秘匿」されるべき状況であることが強調される)を、「Binran」シリーズは「ビンラン・スタンド」という公共空間に向けて開かれた擬似的な私的空間(「室内」や「肌」がプライヴァシーのメタファーである)をそれぞれ撮影することで、曝いていると言える。さらに「Silent Mode 2020」シリーズでは、肖像写真の撮影中、モデルに見せるつもりの無かった表情を曝させている。これらのシリーズに共通するのは、秘められた部分を鑑賞者に擬似的に覗き見させることであり、その行為が持つエロティックな性格である。そのような作家性を踏まえると、「Bangkok, Hanoi」シリーズでも、親族のポートレイトを撮影することで、街路での撮影が禁じられ(秘匿され)ていたハノイの姿を一端を覗き見させていると評しうる。さらに、福島の風景写真のシリーズでは、タイトルを「福島」ではなく「Fukushima」とすることで、写真には写らない放射性物質の存在を想起させ、やはり見えない(秘匿された)部分を鑑賞者に透視させるかのようだ。