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芸術鑑賞の備忘録

展覧会『東京藝術大学日本画第一研究室研究発表展』

展覧会『東京藝術大学日本画第一研究室研究発表展』を鑑賞しての備忘録
東京藝術大学大学美術館〔陳列館・正木記念館〕にて、2023年9月1日~13日。

東京藝術大学日本画第一研究室に所属する教員6名・学生14名(修士8名・博士5名・交換留学生1名)及び卒業生1名の作品を展観する企画。陳列館(畳敷きの2階)では作家が思い思いの表現形式による作品を、正木記念館では揃いで掛け軸に仕立てた作品(及び合同制作の巻子作品)を、それぞれ並べている。

高盛大輔《ロカ》は、正方形の画面(1620mm×1620mm)に、湯を張った浴槽(あるいは水を張ったプール)の中で左右に腕を拡げた人物をほぼモノクロームで表わした作品。2点1組で展示されている。向かって右側の作品では、背景の格子――正方形のタイルであろうか――が規則的に並ぶ。人物の頭髪が上方向に広がるとともに、左右の腕から下方向に向かって何かが垂れている。向かって左側の作品では、背景の格子が歪み、人物の頭髪や顔もうねるように変形している。水中であるなら、水が動いたことになる。だが、「磔刑図」のような人物の姿勢は右側の作品と同様であり、人物が動いた形跡はない。握っていた右の手が開かれたくらいである。また、左側の画面の人物の腕には赤味が差している。格子の変化と言えば、浴室の壁のタイルと湯を張った浴槽のタイルの歪みとを描く小倉遊亀《浴女 その一》を想起してしまい、風呂(あるいはプール)に入った人物と捉えてしまう。だが遠目に見れば本作は磔刑図のようであり、2枚1組で信仰の揺らぎを表現した作品とも解される。

堀田紅音《ここは地獄じゃない》は、熱帯の植物を描いた左右2枚の同じサイズの画面の間に、やはり植物を描いた12点の多様な画面を並べて、1つの作品としたもの。左の大画面には、植物や石を置いた砂地に砂紋を表わした枯山水のような場所の周囲に、熱帯植物が繁茂し、青空を背景に裸木が枝を伸ばしている。左側に格子が覗いている。右側の大画面には、右下から左中央に向かって下りの石段があり、その周囲に熱帯植物が植えられている。左上から降ろされているカーテンのようなクリーム色の布が、閉鎖的な環境であることを示唆する。2枚の画面に挟まれた絵画群のうち、下に配された大きな画面には、熱帯植物と、それをガラス越しに熱帯植物を見る人物の後ろ姿のシルエットがあり、植物園のイメージを喚起する。棚を設置して祭壇のように設えられた花火の絵や、板に書かれた植物の絵、裁断された木に貼り付けられた絵もまた室内空間のイメージをを呼び込む。あるいは、小さな作品群は、スマートフォンの画面やPCのウィンドウのようなディスプレイであるのかもしれない。鮮やかな熱帯植物を格子やカーテンやガラスで閉じ込めた世界を描く作品は、意外と、異世界の景観を理想郷として画面に閉じ込めてきた山水画の系譜に連なっている。

菊池玲生《だれでもだれかになれる》は、岡倉天心の隣に立つ横山大観の顔に穴を開けた顔出し看板。実は岡倉天心がパネルとして表現されていて、横山大観自身が「顔出し看板」的な振る舞いをしている。顔出し看板が入れ籠の関係になっている点がポイントだ。オンライン空間に存在するイメージを学習して合成する、画像生成AIによる絵画の時代を揶揄する作品か。