映画『NOCEBO ノセボ』を鑑賞しての備忘録
2022年製作のアイルランド・イギリス・フィリピン・アメリカ合作映画。
97分。
監督は、ロルカン・フィネガン(Lorcan Finnegan)。
脚本は、ギャレット・シャンリー(Garret Shanley)。
撮影は、ラデック・ラドチュック(Radek Ladczuk)とジャクブ・キヨフスキ(Jakub Kijowski)。
美術は、ルーシー・バン・ロンクハウゼン(Lucy van Lonkhuyzen)。
衣装は、レオニー・プレンダーガスト(Leonie Prendergast)。
編集は、トニー・クランストゥーン(Tony Cranstoun)。
音楽は、ホセ・ブエンカミーノ(Jose Buencamino)。
原題は、"Nocebo"。
制服を着て大きなリュックを背負ったボブス(Billie Gadsdon)が家の前で所在なさそうに立っている。迎えに行くのよね? 君が行くもんだとばかり思ってた。クリスティーン(Eva Green)とフェリックス(Mark Strong)がボブスの迎えに行くのがどっちかと揉めながら玄関から出てきた。私は学校に送るって行ったの。私が送ってあなたが迎えに行くってこと。昨日連れて行ったよ。それで私が迎えに行ったでしょ。分かるわよね? でも無理なんだ、言ったろ。クリスティーンが娘を自分の車の後部座席に乗せる。クリスティーンの電話に着信があり、応答する。ボブス、ママが迎えにいくからね。フェリックスは君は妻とキスを交わすと、妻と娘に愛してると言って自分の車に乗り込む。
クリスティーンが学校の前で車を停め、大きなリュックを背負ったボブスが降りる。素敵な日にしてね。娘に手を振る。
指示通りにするよう確認しておいて。クリスティーンは店に入るなりスタッフに念を押す。クリスティーンは子供服のデザイナーで、今からデザインした服のお披露目がある。既にモデルの少年少女がパステル調のピンクと青を基調とした服を身につけて待っている。女の子から先ですよね。そう、それから男の子。その後、男の子と女の子の両方ですね。その通り。クリスティーンが1人1人衣装を確認して廻る。スタッフに指示したり、モデルの子を褒めたり、男の子がチョコレートで汚していた服を交換させたり。
ショーが始まった。モデルの少年少女が順にランウェイを歩く。クリスティーンが眺めていると、ヴェスモード社の経営者リズ(Cathy Belton)も姿を見せていた。クリスティーンの電話に着信がある。スタッフに重要な案件だと伝えて店に戻る。後にできなかったの? ショーの真っ最中で…。…何てこと。遺体を運び出してる? 今はとても対処できないわ。今はとても聞いてられない。折り返すから…。衝撃的な報告に狼狽えるクリスティーン。試着室のカーテンの蔭から何匹ものダニに噛まれて皮膚が傷み、右目が白い犬が覗いているのに気が付く。犬は真っ直ぐクリスティーンに迫ってきた。クリスティーンの近くで立ち止ると、体を激しく降り、体に付いたダニを撒き散らす。思わず悲鳴を挙げしゃがみ込むクリスティーン。だが犬は幻覚で、店の中には犬の姿など無かった。ところが、クリスティーンの項には1匹のダニが血を吸って膨らんでいた。
8ヵ月後。
自室で酸素マスクを着けて寝ていたクリスティーンがうなされて眼を覚ます。起き上がってふらふらと洗面台へ向かうと、棚から薬を取り出して服用する。項にはダニに噛まれた跡が残っている。
今日はビッグバードと学校に行く。ボブスが鳥籠の黄色い鳥を掴もうとして言う。ダメよ、外に出さないで。ちゃんと戻るでしょ。捕まえたらの話でしょ。いつか窓から飛び出すわよ。娘に飲み物を出している間にトースターから煙が上がり警告音が鳴る。落ち着いてね、ママ。畜生って。悪い言葉を使うんじゃないの。畜生は悪い言葉じゃないよ、動物のことだもん。クソが悪い言葉だよ、ママがいつも言ってる。冷静に口答えする幼い娘に思わず畜生と洩らすクリスティーン。
娘を送迎サーヴィスのドライヴァーに任せて見送ると、クリスティーンは身支度を始める。イヤリングを着け、赤い靴を取り出す。幸運の靴、幸運の靴、私は不屈。呪(まじな)いの言葉を唱える。赤い口紅を塗る。だがイヤリングを外し、口紅を拭う。
赤い靴を履いたクリスティーンが服を抱えて車に乗り込む。
クリスティーンがヴェスモード社のロビーのソファに坐っている。壁に設置された大画面のディスプレイにはヘッドフォンを着けて踊る少女が映る。ファストファッションの広告だ。クリスティーンが受付の女性に3階に向かうよう案内される。
リズがクリスティーンのデザイン画を眺める。時間を作ってもらいありがとうございます。別に問題ないわ。あの後、元気にしてた? あの後?
クリスティーン(Eva Green)は子供服のデザイナー。夫の市場戦略の専門家であるフェリックス(Mark Strong)とともに忙しく、朝は小学生の娘ボブス(Billie Gadsdon)の送り迎えの件で揉めることもしばしばだ。ある日、クリスティーンがショーを行っていると、製造委託先から緊急の連絡が入る。事故で死者が出たと知り動揺するクリスティーンはボロボロの犬がダニを撒き散らす幻覚を目にする。だがクリスティーンの項にはダニが食いついていた。8ヵ月後、未だ酸素マスクを着けて眠り、常時薬が手放せないクリスティーンだが、デザイナー業を再開することを決意する。自ら製造先を探すのを止め、ヴェスモード社に製造を委託しようと、旧知の経営者リズ(Cathy Belton)との交渉に向かう。交渉に成功したクリスティーンのもとに、突然フィリピン人のダイアナ(Chai Fonacier)が姿を現わす。クリスティーンは依頼した覚えは無かったが、住み込みの家事代行を頼まれて来たという。
(以下では、冒頭以外で明らかになる重要な内容についても言及する。)
2015年にフィリピンで発生したケンテックススリッパ工場火災の惨劇を生んだ構造を、フィリピンの魔女「オンゴ」を召喚することで描き出す、呪術的なホラー。
フィリピンではなくインドネシアであるが、女性の民間療法を取り上げる美術家に本間メイがいる。映像作品《Bodies in Overlooked Pain》(2020)では女性による民間療法が男性中心の西洋医学によって失われていったことが指摘される。ヨーロッパにおいても、かつて魔女狩りが行われ、男性の権威に従わず独自の知恵を継承する女性たちが魔女として排除された。
本作で「オンゴ」と呼ばれる魔女は、やはり民間療法の施術者である。彼女は工場火災の犠牲になった娘の無念を晴らそうとして、被服製造を被災工場に委ねていたクリスティーンに近付く。ファストファッションが労働力の搾取により支えられていることを明らかにする。それは帝国‐植民地、西洋医学への一元化といった歪みを白日の下に晒す。
籠に飼われた黄色い鳥「ビッグバード」は搾取工場の労働者の似姿である。従って、ビッグバードがフェリックスによって殺されるのは、西洋・男性によるアジア・女性搾取を象徴する。暖炉の火で暖を取るクリスティーンらは、燃えた工場で利益を受ける寄生虫であり、暖炉の灰は工場で命を奪われた人々の遺灰である。トースターの煙、酸素マスクなども火災のメタファーだ。飛翔と落下もまた火災の犠牲者を連想させる。