可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会 須田日菜子個展『噛み合わない会話』

展覧会『須田日菜子「噛み合わない会話」』を鑑賞しての備忘録
KATSUYA SUSUKI GALLERYにて、2024年4月6日~21日。

スプレーを用いて限られた数の線で身体を描き出した「Discordant conversation」シリーズを中心とする、須田日菜子の個展。

《hip to face》(1940mm×1620mm)は、左腕を頭上に挙げ、右肘を曲げて右手を前に突き出す人物の後ろ姿を、スプレーで吹き付けた黒い線で表わした作品である。緩やかな円弧2つで両肩を、その間に"∩"で頭部を、その右側の直線に接するように小さな円弧を縦に2つ並べて眼と口とを、その左に配した円弧で耳を表現しているように、限られた数の線による戯画的な作品である。スプレーによりぼやけた部分が墨の線を連想させることと相俟って、ユーモラスな画面は仙厓義梵の禅画に通じると言えよう。大画面から切れた左の拳、右手、両脚などによって、その身体が画面から食み出す形になり、躍動感を生じさせている。画面上端の中央近くに振り上げた左の拳からは顔にかけて縦一直線に青い点が滴る。意識して描き入れられたものではあるが、陶芸における釉による景色同様の効果となっている。
「Discordant conversation」シリーズに描かれるのも略画的な人物である。とりわけ《Discordant conversation 15》(410mm×318mm)に描かれた星を見る人が《hip to face》の人物に近しい。オレンジの輪郭の身体はクリーム色で塗りこめてある。首元と右脇から青い線が流れ落ちる。左の拳が青く塗られ、ピンクの絵具がチューブから押し出したように置かれている。画面の左上にはオレンジの描線で星が描かれ、レモン色で輝きが表現される。星を眺める人は、星と対話するのだろう。
《Discordant conversation 5》(410mm×318mm)には白やオレンジを配した背景にオレンジの線で首だけを欠いた全身が描かれる。その画面全体に、円の頭部に円弧3つで眼と口を表わした人物の顔、および肩と胸の線とが黒のスプレーでグラフィティのように重ねられる。黒いスプレーの人物は、オレンジの人物から幽体となって浮かび上がるが如くである。

 チョムスキーの、言語はコミュニケーションの手段ではないという考え方は、偶然発生してしまった自己という考え方の裏面である。まずコミュニケーションが降って湧いて、そこから私という現象が発生したのだ。ほとんど、そういう考え方に接近しているのである。これをキルケゴール流に、あるいはヘーゲル流に言い換えれば、まず関係があって、その関係から自己が生まれたということになる。
 (略)
 つまり、母が、さらにたとえば子の頬の歪みを模倣し、模倣そのものが快楽であることを知って、子にさらに模倣を促すようになった瞬間、この頬の歪みが微笑という意味へと転じるということである。いうまでもなく、ここで重要なのは、子の頬の歪みは意識したものでも意図したものでもない、いわば偶然に生じたものにすぎないということだ。だが、それが母によって模倣された瞬間、少なくとも母の側には微笑として意識されたのである。母が子にその反復を促すのは、自身が意識したそのことを子にも意識させようとすることなのだ。そしてそれが子にも意識されるようになるということは、両者の立場が入れ替え可能であることが意識されることと同じなのである。
 子は、母から見られた自分が自分であることを受け入れることによって自己になるわけだが、この自己を自己とする目は――はじめは手がかりとして母の眼の位置にあるにせよ――そのとき中空にあるとでもいうほかない。そしてじつは、この宙空にあって俯瞰している眼のほうが自己なるものにほかならないのだ。だからこそ、自己にとっては自己の身体があたかも外部から与えられたもののように見えてしまうのである。宙空に位置する眼という言い方は奇矯に響くかもしれないが、これは視覚の本質、距離の本質にかかわることであって、後に問題にする。
 いずれによせ、明瞭になってくるのは、人間の身体はじつは自己などというものではまったくないということだ。
 (略)
 ほんとうは、身体が外部なのではない。自己という現象のほうが外部なのだ。にもかかわらず、人間は逆に考えるのである。(三浦雅士『孤独の発明 または言語の政治学講談社/2018/p.112-114)

《Discordant conversation 5》が描き出すのは、オレンジの「身体」と黒い「自己」とであり、延いては「自己という外部」ではなかろうか。

 (略)自己意識とは自分で自分を見ることだが、自分を見ることは自分を支配すること、自分を奴隷にすることの端緒である。言葉はこの自己意識の働きを対象化する。いわば自己意識を眼に見えるものにするのである。この経緯にすでに俯瞰する眼が介在しているといっていい。言葉の場所と俯瞰する眼の場所は重なりあっているのだ。(三浦雅士『孤独の発明 または言語の政治学講談社/2018/p.247)

画面一杯に黒のスプレーで人物の上半身を描いた《Discordant conversation 4》(410mm×318mm)や《Discordant conversation 4》(410mm×318mm)は、《Discordant conversation 5》における「自己」と捉えることができる。スプレーの模糊とした線が身体からの遊離を感じさせるからだ。それでは何故《Discordant conversation 5》におけるオレンジの「身体」は頭部を欠いているのだろうか。それは「斬首」という死のメタファーを描き入れるためではないか。

 言語革命が人間にもたらした最大のものは、死の領域、死者たちの広大な領域である。このいわば正の領域に対する負の領域は、とりあえずは俯瞰する眼の必然として、あたかもその俯瞰する眼を補完するかのように姿を現わしたといっていい。(略)
 視野の向う、すなわち地平線の、水平線の向こうには何があるか、という問いは、俯瞰する眼にとってはきわめて自然だったろう。同時に、騙されないように細心の注意を払って行われる狩猟や採集の時間が、俯瞰する眼によって――いやそれ以上に視覚が必要とする距離すなわち思考によって――空間化つまり図式化されるのは必然であり、その図式が無限に延長されるのもまた必然である。要するに昨日があり明日があることは、変化を感知する能力にとって、自明のことにならなければならなかった。人間が日を刻み、年を刻みはじめた段階で、歴史はすでに始まっているのだ。(略)
 人が現世と来世、この世とあの世を考えるのは、俯瞰する眼にとても、視覚が必要とする距離の内実としてに思考にとっても、不可避だっただろう。(略)
 思考の領域が行動の領域から自立することと、記憶の領域が自立することとは表裏である。記憶は思考の素材であり、図式化されるべきものの筆頭である。あの世の体系化は、この世の体系化にこそ役立ったのだ。(三浦雅士『孤独の発明 または言語の政治学講談社/2018/p.479-480)

《Discordant conversation 12》(530mm×455mm)の黒い画面には中央付近に波のような線が横断する。それは三途の川であろう。両腕を挙げた人物はそれを越えて飛んいく(人物には地に着けるべき足が存在しない)。彼岸に、冥府に向かったのだ。黒い画面の中に白やモスグリーンで浮かび上がる人物を描く《Discordant conversation 1》(410mm×318mm)は冥府に立つ人物を、やはり黒背景に白い輪郭線で表わされた人物《Discordant conversation 13》(410mm×318mm)は彼岸から此岸への帰還を表現するようである。

 言語革命は死後を発明しただけではない。
 この世をあの世に変えたのである。
 出生した赤子に名を与えることはこのように位置づけることだが、名は生命とともに消えるわけではない。名はすでになかばこの世を超えているのである。与えられた名を生きることは生きながらにして死の世界に足を踏み入れることであり、墓を築くことは死者の名をなおこの世にとどめ、大なり小なりそれがこの世を支配することを許すことなのだ。(略)人間は死者に立ち混じって生きること、死者を生かし続ける術を発明したのである。(略)
 人は生きるために死という広大な領域を発明し、そのなかに立ち入ったのである。
 人間は生と死を転倒させたといっていいが、そのようにして初めて生を意識しえたのだ。(略)
 人間の表現行為はすべて、基本的に死にかかわっている。
 あの世の視点に立ってこの世を生きることになったからである。(三浦雅士『孤独の発明 または言語の政治学講談社/2018/p.480-481)

言語で行われる以上、会話が完全に噛み合うことはない。なぜなら言語である自己は常に身体との距離を前提としているからである。言語である自己と身体との距離がゼロになり、自己と身体とが一致するとき、それは死を迎える時である。会話が噛み合わないのは、生きているからである。「噛み合わない会話」とは、生きることそのものである。