可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

本 オースティン『自負と偏見』(2)湖水地方

 キャサリンは叔父・叔母に当たるガーディナー夫妻と湖水地方に旅行に出かけることになる。ところが、その計画は、ミスター・ガーディナーの急用で変更になってしまう。

 北部地方の旅の予定日は着々と近づきつつあった。が、あとわずか2週間という時になって、ミセス・ガーディナーから手紙が届いた。出発の日を遅らせ、しかも予定を切り詰めるしかないというのだ。文面はこうだった。ミスター・ガーディナーに商売上の用事ができたせいで2週間出発を延ばして7月半ばに経つしかなく、しかも1ヶ月以内に帰って来なければならない。そこで、計画通りに足を伸ばしたりあれこれ見て回ったりするのは難しく、無理にやればぎゅう詰めのスケジュールでくたくたになってしまうから、湖水地方はあきらめ、もっと手ごろに済ませたほうがいい。いま岸が得ているのは、ダービシャーで打ち止めにしてしまうことだ。あのあたりにも見所は多いからほぼ3週間はかかるだろうし、自分にとってダービシャーは特別な思い出の地でもある。かつて数年を過ごした町にも、数泊することになっている。あの町がどうなっているか、とても知りたい。マトロックの温泉地、チャツワース邸宅、ダウンデイルの丘陵地帯、ピーク地方といったダービシャーの名所は、もちろん言うまでもないけれど。(ジェイン・オースティン小山太一訳〕『自負と偏見新潮文庫〔2014年〕378頁)

 「エリザベスはこの上なく落胆した。湖水地方は本当に楽しみにしていた」(同書379頁)からだ。
 『第一印象』が『自負と偏見』へと改題・改稿されるのは1811年であり、ナポレオン戦争中のことである。湖水地方が余暇の行き先として国内で注目されるようになった時期と重なる。ジェイン・オースティンが、当時注目されていた観光地について、作品中に取り込んでいたことが分かる。

(略)1750年頃まで、イングランド北西部の端にある山がちのことの僻地が、外の世界から注目されることはほとんどなかった。たまに注目されたとしても、貧しく、非生産的で、原始的で、苛酷で、醜く、後進的な土地だとみなされるだけで、訪問するべき美しい場所だと考える人などいなかった。しかし、驚いたことに、それから数十年のあいだに湖水地方のイメージはがらりと変わることになる。まず道路が整備され、次に鉄道が開通すると、交通の便が一気によくなった。さらにロマン主義の出現やピクチャレスク運動によって、湖水地方に代表される山、湖、起伏に富んだ土地への世間の見方が変わった。この地域の景色が、突如として作家や芸術家に大きく注目されるようになったのだ。とくに1803年に始まったナポレオン戦争の影響でアルプス山脈への旅行がむずかしくなると、芸術家らはイギリス国内で代わりとなる山々を見つけなければいけなくなった。
 当初から訪問者が虜になったのは、心が洗われるような幻想的で理想的な風景だった。その景色は、わずか百数十キロ南で産声を上げた産業革命といった近代的な出来事と好対照をなすものだった。湖水地方はまた、さまざまな哲学やイデオロギーを築き上げる場所にもなった。発見された当時から、ここは多くの人にとってげんじつから逃避するための場所だった。起伏に富んだ丘陵や豊かな自然は人々の精神と感覚を刺激するものであり、そんな場所はほかにはなかった。彼らの心のなかには、歩き、眺め、登り、描き、文章として綴り、あるいはたんに空想するための場所として湖水地方が存在する。ここは、多くの人が訪れることを願い、住むことを望む場所なのだ。(ジェイムズ・リーバンクス〔濱野大道訳〕『羊飼いのくらし イギリス湖水地方の四季』ハヤカワ・ノンフィクション文庫〔2017年〕16~17頁)

エリザベスにとって、この旅行の計画変更は非常に大きな意味を持つ。後にエリザベスは、ミセス・ガーディナーへの手紙に以下のように記すことになる。

(略)湖水地方に行くのを中止してくださったことにはお礼の申し上げようもありません。(略)(ジェイン・オースティン小山太一訳〕『自負と偏見新潮文庫〔2014年〕603頁)