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芸術鑑賞の備忘録

映画『メイ・ディセンバー ゆれる真実』

映画『メイ・ディセンバー ゆれる真実』を鑑賞しての備忘録
2023年製作のアメリカ映画。
117分。
監督は、トッド・ヘインズ(Todd Haynes)。
原案は、サミー・バーチ(Samy Burch)とアレックス・メヒャニク(Alex Mechanik)。
脚本は、サミー・バーチ(Samy Burch)。
撮影は、クリストファー・ブロベルト(Christopher Blauvelt)。
美術は、サム・リセンコ(Sam Lisenco)。
衣装は、エイプリル・ネイピア(April Napier)。
編集は、アフォンソ・ゴンサウベス(Affonso Gonçalves)。
音楽は、マーセロ・ザーボス。
原題は、"May December"。

 

トウワタにオオカバマダラが留まっている。花の蜜を吸う。
ジョージア州サヴァナ。ヴィクトリアン様式の建物が残る街区。1軒の瀟洒な貸別荘の前に車が停まる。女優のエリザベス・ベリー(Natalie Portman)が降りる。
エリザベスがアーロン(Chris Tenzis)と電話しながらリヴィングにやって来る。…趣があるわ。…すごく暑いけど。…蜿々と話す女性に捕まっちゃって。…今日はどうだった?
サヴァナ近郊。水辺に面した自宅のサンデッキでジョー・ユー(Charles Melton)がバーベキューコンロに火を入れる。
キッチンではグレイシー・アサートン=ユー(Julianne Moore)とロンダ(Andrea Frankle)が食事の準備をしている。ジュディ判事に会ったときのこと話したわね。ハリウッドにいそうな人でしょ。ジョーがサンデッキから入ってくる。グレイシーがジョーに皿とコップをテーブルに並べるよう頼む。サングラスをかけてただ坐ってるだけじゃなくて、この場にいるなら参加してもらいたい。そうするわよ。良い日和だもの。子供たちが部屋に駆け込んで来る。何処に行くつもり? グレイシーが娘のメアリー・アサートン=ユー(Elizabeth Yu)に尋ねる。屋根。親御さんにお子さんが怪我しましたなんて連絡させないで頂戴。大丈夫。グレイシーはチャーリー・アサートン=ユー(Gabriel Chung)に自分の代わりによく注意するよう頼む。グレイシーは冷蔵庫を開ける。ホットドッグが足りないかも。
ジョーがバーベキューコンロでソーセージを焼いている。彼の後ろで酒を飲むベン(Mike Lopez)が言う。彼女が出てる映画を見たよ。裸になるんだけど、変な作品でさ。血の儀式みたいな。よく分からなかった。どこで見たんだ? テレビでだよ。ま、「エリザベス・ベリー 裸」で検索したんだけどさ。風船の手を離してしまった小さな女の子が悲鳴をあげる。娘さんじゃない?
エリザベス・ベリーが車を走らせる。グレイシーの家に到着し、玄関でチャイムを鳴らすか応答がない。玄関にあった小包を手にして家の裏手に廻る。グレイシーがエリザベスに気が付く。お会いできて光栄です。ようこそ。素敵な方ね。もっと背の高い方だとばかり、同じくらいの背丈ね。同じくらいです。引き受けて頂いて感謝しています。映画で正しく伝えて欲しいと思って。理解されているとあなたに感じてもらえる映画にしたいんです。この小包が玄関に。ジョー、信じられないわ! ジョーがやって来てエリザベスに挨拶する。ゴミ袋を持ってくるよ。何ですか? 排泄物が届いたの。ここ最近は無かったけど、珍しいことではないわ。そんなに驚かないで。送り主は? 招待されない変人でしょ。グレイシーとエリザベスはジョーに消毒液をスプレーしてもらう。じゃあ、寛いで見て回ってお喋りして、ホットドッグを食べて頂戴。
エリザベスが手帖を手にバーベキューに集まった人たちの姿を見て廻る。はにかむメアリーと友人たちに声を掛けられた。メアリーね、双子なんでしょ。兄は近くに。私たちの姉は大学に。テレビに出てる人に会ったことなんてなくて。ご両親は? でも出演じゃないから。カラバサスに住んでるの? いいえ。
エリザベスがグレイシーとジョーが近隣の人たちに囲まれて談笑する姿を離れた場所から眺める。ロンダがやって来る。優しい人たちでしょう? とても。地元で愛されてるわ。そのようですね。グレイシーのどこが一番好きです? 自分の望みを分かっていて悪びれないこと。息子が家を出てやることがなくなって。今日何するってグレイシーに電話すれば必ず応じてくれるわ。ようやく落ち着いたところなの、そこへ来てあなたたちが映画を撮ろうとしている。映画で描くのは、重層的で人間的な物語です。お手柔らかにね。
夜。貸別荘に戻ったエリザベスはタブロイドや雑誌に改めて目を通す。ペットショップの情事、獄中出産などの文字が躍り、現在のエリザベスと同年齢の当時36歳のグレイシーや、当時13歳のジョーの姿がある。丸いのに刺々しい目。見開かれても読み取れない目。ピンクの口紅。僅かに不機嫌そうな窄めた口。鳥の嘴のようで人を寄せ付けない。機械的、あるいは心を見せないだけか。エリザベスはグレイシーの小さな写真に目を留める。手を組み祈るような姿をしていた。エリザベスが鏡に向かい、グレイシーの祈る姿を真似てみる。
ジョーは1人、ネットでエリザベスについて調べた。映画賞の授賞式の模様、そして、洗顔料のコマーシャル。大写しのエリザベスの顔。洗顔で、生まれ変わる、あなた。ジョーが見蕩れる。
寝室。ジョーがベッドに入ると、炭の臭いがすると嫌がられた。煙だよ。何? ガスコンロだが煙の臭いだよ。シーツに臭いが移っちゃう。シャワーを浴びて欲しい? ベッドにくるまえにシャワーを浴びて欲しかった。ジョーはシャツを脱いで横になる。まだ臭うわ。ジョーはベッドサイドの洗面器の水で体をなおざりに洗い、シーツに横になる。いい? グレイシーは嗚咽する。いいわ。大丈夫だよ。ええ。ジョーがグレイシーにキスする。
朝、ジョーが茂みに行き、トウワタの葉の裏を確かめる。オオカバマダラが卵を産み付けた葉を切り取り、持ち帰る。リヴィングで虫籠に葉を入れる。卵が3つ一直線に並んだ葉を撮影して、仲間にテキスト・メッセージを送る。「…」って蝶からのメッセージみたい。

 

2015年。ジョージア州サヴァナ。女優のエリザベス・ベリー(Natalie Portman)が歴史地区の貸別荘を借りる。サヴァナ近郊の海辺に暮らすグレイシー・アサートン=ユー(Julianne Moore)を取材するためだ。グレイシーは1992年、36歳のとき、夫も子もありながら勤務先のペットショップで13歳の少年と関係を持ち、発覚して逮捕された。グレイシーは服役中にジョーの子を出産し、出所後にジョーと再婚した。世間を賑わせた「ペットショップの情事」の映画化で、グレイシーを演じるエリザベスが役作りを思い立ったのだ。エリザベスが訪問した日は近隣住民を招いてのバーベキューが行われていた。グレイシーは夫のジョー・ユー(Charles Melton)と睦まじく、近隣住民との関係も良好に見えた。エリザベスはフラワーアレンジメントや料理などグレイシーと行動をともにするだけでなく、ジョーやグレイシーの前夫トム・アサートン(D.W. Moffett)、グレイシーの弁護士モリス・スパーバー(Lawrence Arancio)などの話を聞き、現場となったペットショップを訪ねる。エリザベスはスキャンダルに蓋をするために生じる軋みに気付いていく。

(以下では、冒頭以外の内容についても言及する。)

1992年に世間を賑わせた「ペットショップの情事」の映画化に当たり、女優のエリザベス・ベリーは、役作りのためにグレイシー・アサートン=ユー本人に会いに行く。グレイシーは36歳のとき当時13歳だったジョー・ユーと関係を持ちの子を獄中出産し、彼と再婚した。グレイシーとジョーは仲睦まじく、近隣住民との関係も良好であった。
グレイシーは目の前のことで手一杯で過去のことを考える余裕などないと言う。3人(うち下の子は双子)の子供たちを育てるのに忙しかったなど事実ではあるが、同時に「情事」はグレイシーとジョーとの相思相愛に基づくものであり、その評価が揺れることを避ける意図があったことは否めない。近々双子のメアリーとチャーリーが高校を卒業し巣立つことは、時間的余裕が生じる可能性が高く、夫婦間で事件の再考の機会が生まれる可能性があった。
ジョーはオオカバマダラの保護活動に勤しんでいる。卵を採ってきて羽化させて放つのだ。グレイシーは虫を飼うことにいい顔をしないが、ジョーにとっては、保護活動の仲間とのネットでのやりとりが息抜きの機会であった。ところで、ジョーは、グレイシーによる性的虐待の被害者ではないとの物語を、グレイシーとともに頑なに守ってきた。だがエリザベスから自分の人生を「物語」という言葉で説明されたとき、物語ではなく事実なのだと珍しく怒りを見せる。スキャンダルにより人々から後ろ指を指され見つめられてきたジョーは、自らが虫籠の虫であるとの思いを抱いているのではないか。羽化して羽搏く日を夢見ているのである。オオカバマダラは海を渡る蝶であった。
喫煙するチャーリーに、ジョーは煙草を吸ったことがないと伝えて、驚かれる。13歳で衆目を集めたジョーに羽目を外す機会など無かったのだ。噎せながらも煙草を吸ってみるジョーは、羽搏くための準備をしている。


(以下では、後半の内容についても言及する。)

ジョーは父親(Kelvin Han Yee)が多忙であったため、父親代わりで妹の面倒などを見ていた。大人びたジョーはグレイシーと関係を持った際に既に2人の恋人と性交渉があったという。対して、グレイシーは夫トムしか男を知らなかったという。だが、前夫との子ジョージーによれば、グレイシーの主張は事実ではないという。幼い頃に兄たちに犯されていたというのである。
グレイシーはメアリーの卒業式の衣装を求めるのに、エリザベスを同伴する。花嫁衣装だと評するやや重めの白いドレスを嫌い、腕を出したより軽やかな白いドレスを気に入る。だがグレイシーはややぽっちゃりしたメアリーが腕を見せることを認めない。大学生で家を空けていた娘オナー(Piper Curda)が戻った際には、卒業祝いで体重計が贈られたことが明らかにされる。グレイシーはどう見えるかに常に気を配っているのである。「適正」な体重を維持するために必要な体重計は、世間の評価を維持しようと必死にバランスをとるグレイシーの象徴だ。このようなグレイシーの姿勢が子供たち――そしてジョー――との関係を内実のないものにしてしまう。

(以下では、結末に関する事柄についても言及する。)

エリザベスはグレイシーに接するうち次第にグレイシーに同化していく。雑誌の写真でポーズを真似てみるところから始まり、一緒にフラワーアレンジメントをし、一緒にケーキを作り、同じ化粧品で化粧をする。情交の現場となったペットショップの倉庫に赴く。果てはジョーと関係を持つに至る。
高校に招かれたエリザベスは生徒からセックスの撮影について質問される。長時間肌を重ね併せるうち、演技なのか現実なのかの境界が分からなくなると吐露する。また役の選択について問われると、表面的には理解し難い人物を演じたいという。先天的なものか後天的なものか。悪役を演じたいなんて思う人がいるでしょうかと問われると、メディアやヘッダ・ガーブレルといった悪女が演じられてきたことを訴えた。
エリザベスは演じるのではなく、リアリティを追求する(エリザベスの実年齢はグレイシーが事件を起こしたときの年齢に一致する)。そのために、演技を繰り返す。繰り返すうちに、演技と現実との境界を溶かそうとするのである。
少年ジョー役の俳優(Rocky Davis)とのシーンの撮影で、エリザベスは監督がOKを出してなお、もう1度と求める。それは、リアリティの追求であるとともに、セックス(のシーン)のメタファーである。