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芸術鑑賞の備忘録

展覧会『あいおいニッセイ同和損保 椿絵コレクション展 切磋琢磨―響き合う個性』

展覧会『あいおいニッセイ同和損保 椿絵コレクション展「切磋琢磨―響き合う個性」』を鑑賞しての備忘録
UNPEL GALLERYにて、2024年11月30日~12月22日。

あいおいニッセイ同和損保の椿をモティーフとした絵画のコレクションから、岸田劉生中川一政、椿貞雄、木村荘八の椿絵を展観する企画。

岸田劉生関東大震災後に京都に移り、南画や院体花鳥画を手掛けた時期があったという。その時期の作品の1つが絹本の日本画《椿之図》(1923)[02]である。画面中央に上向きの3輪の赤い花を付けた椿の木が表される。葉は表と裏返った部分とをそれぞれ緑と茶とで表してある。とりわけ左端で伸びる枝は切り揃えられた上に葉を取り除いたと思しく、すっきりとした印象を添え、椿は無地に凜とした佇まいを見せる。同じく劉生による油絵《籠椿》(1924)[06]が左に並ぶ。5輪の赤い椿を活けた籠は網目を見せつつも、台と壁と同じ茶色で表され、花だけが浮かび上がる。左手前側の2輪の雄蕊から花の背後に添えられた葉の光沢にハイライトにより花を撫でるような視線を誘導する。日本画の《椿之図》と西洋画の《籠椿》の花の描き方の差異により、作者が写実を求めて画材に相じた画き分けを行っていたことが分かる。
椿貞雄《椿花》(1961)[09]は、水を張った明るい茶色の平鉢に浮ぶ一朶の椿を描いた作品。斜め上から除いた平鉢は画面にっぱいに楕円で表され、見込みの左上の光として白が点ぜられ、枝の葉の光沢、枝を辿って右側の1輪の花へと視線を送るよう促される。青味を差して表された水の表現も見事である。「風流な土左衛門」ことジョン・エヴァレット・ミレー(John Everett Millais)の《オフィーリア(Ophelia)》(1851-52)を連想させもしよう。
椿貞雄《白磁壺と椿》(1948-49)[11]には、一朶の椿を活けた面取りの白磁壺を右に、左には枝葉の付いた蜜柑(柑橘)と柘榴とが左に配されている。椿の花が壺の肩の上に出ることで画面中央に位置する。その椿と壺の作る台上の黒い影が白磁と好対照をなしている。花を頭に3枚の葉を腕・足として椿が壺から逃げだそうとしているようにも見える。椿貞雄の《雪椿(春椿)》(1942)[12]では池畔の雪を被った常緑樹が、画面左上の春の訪れを告げるような温かな光を浴びた木々の姿とともに描かれるが、右端に除く赤い椿が雪を背負った松同様にしんどそうに見える。椿貞雄という名の作家だけに、椿に人やその定めを見ているようなふしがある。
中川一政の《椿三輪》(1983)[05]、《椿》(1962)[03]、《椿》(1961)[10]はいずれも壺に活けた椿が描かれる。壺の置かれた台の線が壺の左右で歪み、壺もまたひしゃげいている。中川一政の扇面図《早春花》(1975頃)[07]では梅などとともに椿が描かれるが、扇面の形が歪である。岸田劉生や椿貞雄の作品との対照でより強く印象づけられる中川一政のデフォルメは癖になりそうな魅力がある。
木村荘八の《椿図》(1930-40年代頃)[08]の椿は半ば意匠化された洒脱な印象。1輪は右下に向かう折鶴のような姿を見せる。保立葉菜の木版画《椿》(2024)[15]の力強い輪郭線で描かれた左上に真っ直ぐに伸び上がる椿と好対照をなす。