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芸術鑑賞の備忘録

展覧会『壁に世界をみる 𠮷田穂高展』

展覧会『壁に世界をみる 𠮷田穂高展』を鑑賞しての備忘録
三鷹市美術ギャラリーにて、2019年12月7日~2020年2月16日。

𠮷田穂高(1926~1995)の回顧展。時代順に全4章で構成。いずれも画家である父・𠮷田博、母・𠮷田ふじを、兄・𠮷田遠志に囲まれて育った𠮷田穂高は、短歌や洋画に手を染めた後、版画を中心に活動するようになった。「Ⅰ.誕生から形成期」ではその初期の活動を追う。1955年に兄とともに渡米し、古代マヤ文明に感化された。「Ⅱ.メキシコとの出会い(1950年代中頃~60年代前半)」ではマヤ文明の影響のもとに制作された作品を展観する。「Ⅲ.コラージュと写真製版(1960年代後半~70年代)」では再度渡米してポップアートに触れた後の、コラージュ的手法による作品を紹介する。最後の「Ⅳ.私のコレクション(1970年代末~1995年)」では、旅先などで撮影してきた写真を素材に制作した後期の作品を展示する。

「Ⅰ.誕生から形成期」では、初期に取り組んだ油彩作品が数点紹介されている。中でも最初期の《秋》(1948)は前景に舞台のような広い空間を空け、右手に中央へと伸びる柵を、奥に舞台の書き割りのような樹木を配する。紅葉をもたらす魔法をかけるかのように黄色い太い輪郭線が樹木を支配する。また、樹木の重ねるような描き方には、既にレイヤーへの関心がうかがわれる。主に紹介されるのは版画作品。太陽を街を見下ろす人物として造形した《太陽》(1952)、衣の裾の広がりを誇張することで仏像の魅力を大胆に提示する《弘仁佛》(1954)、光の球のとその動きで闇を立ち上げる《夜》(1954)、飛石を中心に構成することで茶道の過程重視の姿勢を表現する《茶室》(1956)など。「愛執にさいなまれゐる夜々も茗荷の花は地にくされゆく」(1949)など、数首の短歌もあわせて紹介されている。
「Ⅱ.メキシコとの出会い(1950年代中頃~60年代前半)」では、《呪術者》(1956)、《繁茂》(1956)、《古代人、黄》(1959)、《兆》(1960)、《掟》(1963)など多くの作品に勾玉か甲虫の幼虫のような形が描き込まれているのが気になる。勾玉が太陽や月を表すのか胎児を表すのか、またマヤ文明に特徴的な形なのかどうかは定かではないが、呪術的な力を呼び込もうとしている印象を受ける。
「Ⅲ.コラージュと写真製版(1960年代後半~70年代)」では、《PACO》(1965)、《こよみ-青》(1966)、《大空の神話》(1969)、《LANDSCAPES, No.1》(1970)、《一軒家のある風景、A》(1974)、《家、緑の壁》(1977)など、女性の身体が作品の中に取り込まれた作品が並ぶ。時計やフィルムとの組み合わせはサルバドール・ダリを、建物と女性との組み合わせはポール・デルヴォーを想起させる。Ⅱ章の作品との関係では、勾玉のような幾何学的・抽象的な形態から、ポップアートの受容によってより訴求力のある女性の身体という具体的な形をとるに至ったようにも見受けられる。《裏通りの神話(三幕九場)》(1976)では複数の場面をつなぐ役割を女性(の身体)が果たしているが、あるいはリプロダクションから再生、ひいては時間を超越する存在の象徴として女性(の身体)がとらえられているのだろうか。
「Ⅳ.私のコレクション(1970年代末~1995年)」では、《白い土の塀》(1983)や《サンミゲル旧一番通り》(1987)など、構造物や建物が異空間にタイムスリップしたかのような印象を受ける作品が目を引く。コラージュや版画(複数の版)は複数の世界を一つの画面にまとめあげてしまう機能を有するが、そのことが時代を超えて何かを召喚してしまうという発想に連なるのだろうか。《赤の壁》(1992)、《土色の壁》(1992)など壁への着目は、時代時代の状況を刻印してきた複数の版から構成される画面として壁を発見したことに基づくのかもしれない。