可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

映画『ポゼッサー』

映画『ポゼッサー』を鑑賞しての備忘録
2020年製作のカナダ・イギリス合作映画。
103分。
監督・脚本は、ブランドン・クローネンバーグ(Brandon Cronenberg)。
撮影は、カリム・ハッセン(Karim Hussain)。
美術は、ルパート・ラザラス(Rupert Lazarus)。
衣装は、アライン・ギルモア(Aline Gilmore)。
編集は、マシュー・ハンナム(Matthew Hannam)。
音楽は、ジム・ウィリアムズ(Jim Williams)。
原題は、"Possessor"。

 

化粧室の鏡の前で、ホリー(Gabrielle Graham)が頭頂部に電極を射し込む。手許のコントローラーのダイヤルを回していく。ホリーの目に涙が浮かぶ。ターコイズ・ブルーのトラックスーツを身につけてフロントに向かうと、同じ衣装に身を包んだキャサリン(Hanneke Talbot)から声をかけられる。エレヴェーターに乗り込むと、キャサリンから、顧客に対して最初に左右の頬にキスするよう指示される。プライベート・ラウンジに到着すると、ホリーは他のトラックスーツの女性とともに接客に向かう。ホリーはテーブルにセットされているカトラリーからナイフを手に取ると、脇目も振らずに恰幅のいいスーツの男性(Matthew Garlick)に近付き、ナイフで首を切り裂く。悲鳴が上がり、会場の人々が一斉に逃げ去る。1人残されたホリーはナイフを男性の心臓に何度も執拗に突き刺す。血が床に広がり、ホリーの白い靴にも付着する。ホリーはバッグから取り出した拳銃を自らの口に向けるが引き金を引くのを躊躇う。その間に警官が到着し、拳銃を彼らに向けたホリーは銃弾を浴びて倒れる。1人の警官(Daniel Park)が近寄り、ホリーの顔面に銃弾を打ち込みとどめを刺す。
頭部に装置を取り付け、寝台に横たわるテイサ・ヴォス(Andrea Riseborough)が意識を取り戻す。出して。ガーダー(Jennifer Jason Leigh)がテイサに落ち着くよう声をかける。全てうまくいってるわ。宿主の脳死が確認されて、接続が完全に解除された。任務完了よ。悪いけど、まだ戻れてない。休憩が必要? いらない、さっさと終わらせよう。テイサがテーブルの上で箱に入っている持ち物を1つずつ手に取って説明していくのを、向かい側に座るガーダーがリストにチェックを入れながら確認していく。これは祖父のパイプ。父が私にくれた。これは子供の頃の思い出の品、自分で殺した蝶、今見ても後ろめたさがある。…これは私のじゃない。見たことないから。その通り。すべて正常ね。ホリーとして過ごした時の痕跡は残ってないわ。何か伝えたいことはないの? 接続時の異常とか。別に、問題なし。隠し事は駄目よ。大丈夫。ならいいわ。次の契約ももうすぐ、大口の契約なの。稼ぎ頭を失うわけにはいかないのよ。時間が欲しい。何の時間? マイコウに言ったの、時間がかかるって。マイコウとは別れたんじゃない? そうだけど、彼に伝えたの。彼との関係はもう安全じゃないって、危険だって言ったのはあなたなのよ。
テイサは、マイコウ(Rossif Sutherland)と、彼との間の息子アイラ(Gage Graham-Arbuthnot)の住む家のすぐ近くまでやって来た。テイサは家族と再会した際に投げかける言葉を声に出して繰り返し練習する。

 

殺害対象者に近い人物を拉致して脳に装置を埋め込み、その脳に同期して乗っ取り暗殺を決行し、「自殺」することで完全犯罪を実行する暗殺請負業。テイサ・ヴォス(Andrea Riseborough)は、ガーダー(Jennifer Jason Leigh)の指示の下、数々の依頼をこなしてきた腕利き。だが、最近テイサは「自殺」による離脱に困難を感じていた。データ・マイニングで成功した巨大企業「ズー・スルー」の創業経営者ジョン・パース(Sean Bean)殺害の依頼を受けたガーダーは、テイサに、ジョンの娘エヴァ(Tuppence Middleton)の恋人コリン・テイト(Christopher Abbott)を乗っ取らせる。

以下、全篇に触れる。
テイサは、幼い頃に作った蝶の標本を見ると、未だに罪悪感を感じるという。幼いテイサが自らの手で蝶の命を奪ったのに対し、暗殺者としてのテイサは、他人の脳を操ってその身体を利用することで暗殺を遂行する。間接的な殺害では、その手応えを実感することができない。殺害という「成果」はテイサから疎外されている。テイサが執拗にナイフを突き立てるのは、自ら手を下したという実感を手に入れようとしているからではないか。
テイサが乗っ取ったコリンは、データ・マイニング企業「ズー・スルー」において、ヘッドセットを装着して室内に設置されたヴィデオカメラの映像を視聴し、カーテンの色など特定の情報を報告する単調な業務を担当している。コリン=テイサは短時間で気分が悪くなり業務に支障を来す。コリン=テイサが他人の私生活を覗き見ることは、テイサがコリンに対して行なっていること俯瞰させる契機になっているからではないか。コリン=テイサがジョンの眼球を抉り取るのは、窃視を罰するためであろう。
他人の脳に寄生し、その他人の死後、自らの身体に戻る。だが他人の生を生きたことで、自らの生について不可逆的な変容を強いられる。完全に元の生活に戻ることは出来ない。顔の変容は、その象徴である。
アカウントなどの乗っ取りのみならず、コメントなどの切り取りによっても、他人の「殺害」の道具として利用される危険があるということか。
他人を乗っ取ることが可能なら、他人に乗っ取られることも可能となる。
台詞などの説明に頼ることなく物語の進行の中で状況をきちんと鑑賞者に理解させる手腕が素晴らしい。