可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会 高橋直宏個展『standing on the balls of the feet』

展覧会『高橋直宏個展「standing on the balls of the feet」』を鑑賞しての備忘録
EUKARYOTEにて、2022年3月11日~4月3日。

7点の木彫作品と1点のドローイングとで構成される、高橋直宏の個展。

《ベール》は、木彫によって表わされた頭、胸、腰(太腿あたりまで)、右手の4つの部位が身体を形成するよう床に並べられ、その上から透明のビニールを被せた作品。ビニールの表面には黒の油性マーカーで目鼻や筋肉などを表わす線が描き入れられている、膝より下の脚はドローイングのみで、対応する木彫が存在しない。左腕の表現は木彫にもビニール上の描線にも存在しない。身体の切断と欠損、床への直の設置、ビニールの覆いが相俟って、横になっている(眠っている)のではなく、斃れている(死んでいる)状態を表現しているようだ。身体の欠損からは爆撃など戦争の惨禍を、ビニールの覆いからは疫病が障壁を極める最中ではウィルス拡散防止の遮蔽措置を連想してしまう。九相観ないしメメント・モリの警句と解される。ビニールのシートとそこに描き入れられた描線からはクロマキーのような映像合成が想起され、イメージの編集・加工自体の表現とも受け取れよう。なお、目と右手があればスマートフォンやPCなどを操作できるため、左腕と足との欠落は、インターネットに常時接続している現代人の揶揄かもしれない。
頭部、胸部、腕、脚などを掘り出した板を8枚ほど組み合わせ、角材や棒を射し込んで身体を表わした木彫作品《風向き》は、それに巻き付けられた1本のロープによって天井から吊り下げられている。身体の大きさに比して大きな頭部は、パブロ・ピカソの《アヴィニョンの娘たち》の女性の顔の表現に見られるような仮面のように表現され、なおかつおそらくは風向きによる変化を表わすため2枚が別の角度で取り付けられている。膝より下の脚は板ではなくロープの撓みによって表現され、床には台座代わりにロープが輪となって自ら結界を成している。ロープが表わす「ライン」に束縛され、ぶら下がっている(≒depending)のは、オンラインで社会に接続(≒オン・ライン)している個人の姿であろうか。「見」る動作から「足」が不要になって「目」だけになったことを訴えるために足が失われたものと解される。

《抱きしめる》は顔を始め身体を密着させる2人の身体を表わした木彫作品。いくつかの部位で構成された2人の身体が、頭部、胴体、それに脚部の2箇所で、黄緑と黄のPPバンドで束ねられているのが何より目を引く。背後には腰に回された手の表現も見られるものの、食み出している腕や手にPPバンドが巻き付けられているのが、束縛を逃れようと藻搔いているかのように見える。それぞれの顔が表わされつつ2人の身体が文字通り一体化したように表現される一方、脚が3本太く荒々しく表現されているのも、2人を引き離す遠心力のように働いている。
《歩きすがた》は木の台座に載せられたトルソのような木彫作品。左腕と胴と太腿の部分に肩を表わすような部分と右腕とが取り付けられている。左右で長さを変え、胴から伸びる位置が違えられることで脚の動きが生み出されている。胸の前に位置する横方向の左腕と、不安定に取り付けられた縦方向の右腕とがやはり動きを表現する。それに対し、不安定な部位を固定する黄色いPPバンドが胴体を縦横に縛り、右腕を身体に巻き付けている。PPバンドによる固定は束縛でありつつ、バラバラに崩れる動きを鑑賞者に想像させることで、かえって彫刻の持つ身体運動の潜勢力を高めている。

《浮き足》はパレット上に胴体、その周囲に頭部や手、足などが散乱し、なおかつ長く引き延ばされた足が天井から鎖で吊されている。爆破によりバラバラになった人体を表わすかのようだ。台座として設置されたパレットが規範や基準(norm)を強く示唆することで、異常な(abnormal)状態がより鮮明となっている。不安により落ち着かない様を表現する「浮き足」本来の語義から離れ、その文字列の喚起する宙に浮く足を鑑賞者に対してあっけらかんと突き付ける、一種の馬鹿馬鹿しさは、人間を解体する残酷さをかえって際立たせることになる。