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芸術鑑賞の備忘録

映画『ベルファスト』

映画『ベルファスト』を鑑賞しての備忘録
2021年製作のイギリス映画。
98分。
監督・脚本は、ケネス・ブラナー(Kenneth Branagh)。
撮影は、ハリス・ザンバーラウコス(Haris Zambarloukos)。
美術は、ジム・クレイ(Jim Clay)。
衣装は、シャーロット・ウォルター(Charlotte Walter)。
編集は、ウナ・ニ・ドンガイル(Úna Ní Dhonghaíle)。
音楽は、バン・モリソン(Van Morrison)。
原題は、"Belfast"。

 

現在のベルファスト。航跡を描き港を離れる船。ガントリー・クレーン「サムソンとゴリアテ」。 ドック。タイタニックベルファストとその前の彫像。ベルファストを象徴する景観が次々と現れる。赤い煉瓦の住宅群。「平和の壁」に描かれたグラフィティ。
1969年8月15日。北ベルファストテラスハウスの路地では沢山の子供たちが思い思いに遊びに興じている。通りがかったフランキー(Michael Maloney)と挨拶を交わした母親(Caitriona Balfe)がバディと何度も声を張り上げる。その声を耳にしたモイラ(Lara McDonnell)はバディを見かけると声をかける。お母さんが呼んでるわ。夕食の時間よ。剣闘士をイメージして作った剣とごみ箱の蓋の盾とを手にしたバディは、遊び相手の女の子に勝利したと満足げに家に向かう。フォード夫人(Rachel Feeney)がバディに気付く。ドラゴンと戦ってたの? 数匹とね。フランキーがその話に割って入る。うちにもいるよ。そうなの? 盾を貸してもらえないか? 考えとくよ。親父さんによろしくな。言っとくよ。カヴァナー夫人(Elly Condron)もバディにお母さんが夕食だと呼んでると知らせてくれる。今晩は臓物料理だってよ。ステュアート(Chris McCurry)がバディを揶揄う。そんなこと言わなかったよ。サンドイッチで出すってよ。母さんはあんたがひどい男だってさ。その通りさ。家の近くまで戻ったところ、口元を布で覆った見知らぬ人々が大挙して屯して気勢を上げているのが目に入った。彼らは棒きれや石や煉瓦を手にしている。バディは立ちすくんでしまう。子供を家へ急いで連れ帰る親たち。慌てて家へ駆け込む子供たち。そのときバディの目の前で火炎瓶が炸裂して炎を上げる。母さん! 息子の声を聞いた母親がバディと声を上げながら家から飛び出してくる。母さんは息子を抱えると、投げつけられる石つぶてから息子の盾で身を守りながら家へと戻る。母親は食卓の下にバディを隠れさせると、玄関でウィルと大声で叫ぶ。暴徒たちは路地に雪崩れ込み、テラスハウスの家の窓を次々と叩き割っていく。駆け戻ってきたウィル(Lewis McAskie)が母親に家に入るよう叫び、母親はウィルを家に入れるとすぐさまドアを閉ざす。ウィルをバディ同様テーブルの下に避難させると、母親は窓際で外の様子を窺う。母さん、何してるの? ウィル、出てきちゃ駄目。ウィルは食卓の下に戻るとバディを抱きかかえる。暴徒たちは破壊した通りの惨状に自らの力を見て達成感に酔い、興奮している。とりわけ暴動の首謀者であるミッキー・クラントン(Leonard Buckley)がそうだった。彼は兄弟であるダーレン(Estelle Cousins)やファンシー(Scott Gutteridge)を引き連れて通りの中央に立つと、一帯に響き渡るように叫ぶ。警告したぞ。クソ野郎どもを街から叩き出せ。サツにチクったらタダじゃ済まねえぞ。暴徒たちは路地の真ん中に自動車を押して来た。クラントンはガソリンの給油口にぼろきれを挿入すると火を点ける。車を押し出すと、暴徒たちは一斉に退避する。自動車は爆発して炎を噴き上げる。食卓の下のバディは爆音に身がすくませる。
テレビ修理店の店頭に並んだテレビでニュース映像が流されている。朝を迎えたベルファストは衝撃の最中にあります。昨夜の暴動の凄まじさが白日の下に晒されたからです。標的とされたのはプロテスタント地域で平和裡に暮らすカトリック教徒でした。彼らの家が攻撃され、印を付けられました。脅迫のせいで立ち退きを余儀なくされるかもしれません。緊密な近隣関係を保ってきた地域ですが、24時間前まで彼らが手にしていた平和を取り戻すことができるでしょうか。
襲撃を受けた通りでは、人々が忙しく働いて復旧作業が進んでいる。瓦礫を手押し車で運び出す人、割られた窓ガラスを修繕する人。道路の敷石は剥がされて下地の砂が剥き出しになっている。女性たちはあちこちで話し合っている。

 

ベルファストテラスハウス。バディ(Jude Hill)は、兄のウィル(Lewis McAskie)と母親(Caitriona Balfe)と暮らしている。ロンドンの建築現場に出稼ぎに出ている父親(Jamie Dornan)は2週間に1度くらいしか家に戻ってこない。両親は地元の幼馴染みで、祖母(Judi Dench)や祖父(Ciarán Hinds)をはじめとした親類も近所に暮らしている。親戚だけでなく、辺りの人々は皆顔なじみで、バディのことを自分の子供のように可愛がってくれる。ある夏の夕方、遊んでいたバディが夕食を食べようと家に戻る途中で、暴徒たちによる突然の襲撃に出くわした。石つぶてや煉瓦や火炎瓶が投げられ、窓ガラスが割られ、自動車が燃やされた。ベルファストプロテスタント系住民が多数派だが、バディの暮らす地域には、カトリックの家庭も少なくなかった。暴徒たちは、不況のために苦しい生活を強いられている不満の捌け口を、地域の少数派を叩くことに求めたのだ。暴動の首謀者であるミッキー・クラントン(Leonard Buckley)は、バディの父親にも加勢するよう、バディやウィルに頻繁に接触してきた。もっとも幼いバディの目下の関心事は、小学校で算数の授業を一緒に受けているキャサリン(Olive Tennant)とどうすれば仲良くなれるかであった。

冒頭、現在のベルファストの港や街並が、俯瞰したり仰望したり、建物その他の幾何学的な形を活かしたりして、次々と美しく描き出されていく。最後に「平和の壁」の鮮やかな壁画を下から上へと映し出していくと、壁の向こうにはモノクロームの世界が広がっている。そこは物語の舞台となる1969年の8月のベルファストだ。以後、モノクロームの画面で少年バディの暮らす世界が描かれていく。途中、映画や芝居といった「劇中劇」の場面はカラーで描かれる(『クリスマス・キャロル』を観劇する祖母の眼鏡に映った芝居もカラーになっている)ことで、現在と「フィクション」の世界(劇中劇であり、フィクション×フィクションである)の天然色の世界に対して、本作の舞台である1969年の世界がより美しく立ち上がる。そこではカメラの切り替えが頻繁に行なわれ、人物のクローズアップを挟んだり、俯瞰・仰望など画角を切り替えたり、横長の画面の端に人物を捉えたりといった、印象的な画面が作られている。
テラスハウスに住む人々の緊密な繋がりが、夏の夕暮れの路地に溢れる人々の姿を映し出す本編の冒頭で印象付けられる。突然のモノクロームへの転換によって、それが今はもはや失われた世界であることが強調される。
地元の幼馴染みの両親に対して、ベルファストを離れるバディのキャサリンに対する恋は成就することはない。その対比が切ない。
子供らしい子供であるバディを演じたJude Hill、スタイリッシュさで輝きを放つ両親を演じたCaitriona BalfeとJamie Dornan、飄飄とした祖父のCiarán Hindsも良い。だが、Judi Denchの祖母は、劇中のキャラクターではなく、実在するとしか思えない。
本作が好みなら、コメディ映画『こんにちは、私のお母さん(你好,李焕英)』(2021)も薦め。