映画『コット、はじまりの夏』を鑑賞しての備忘録
2022年製作のアイルランド映画。
95分。
監督・脚本は、コルム・バレード(Colm Bairéad)。
原作は、クレア・キーガン(Claire Keegan)の小説"Foster"。
撮影は、ケイト・マッカラ(Kate McCullough)。
美術は、エマ・ロウニー(Emma Lowney)。
衣装は、ルイーズ・スタントン(Louise Stanton)。
編集は、ジョン・マーフィ(John Murphy)。
音楽は、スティーブン・レニックス(Stephen Rennicks)。
原題は、"An Cailín Ciúin"。
鳥の囀りや牛の鳴き声が聞こえる草叢にコット(Catherine Clinch)が身を潜めている。姉たちがコットの名前を叫ぶ。どこにいるの? ママが探してる! コットが草叢を抜け出し、とぼとぼと家に向かって歩いて行く。見つかった? 見つからない。母親(Kate Nic Chonaonaigh)と姉とのやり取りがコットの耳に届く。
家の中では幼子が椅子に坐らされて泣き声を上げている。自分の部屋に戻ったコットは母親がやって来る音が聞こえると、慌ててベッドの下に隠れた。マットレスの一部が濡れている。母親はベッドの下にいるコットに向かって言う。靴に泥が付いてる。コットは黙ってベッドの下で横になっている。
朝。母親は外に出て洗濯物を干している。ラジオが流れる中、4人の娘たちが食卓を囲んでいる。仔牛が赤ちゃんと同じ週に倦まれるって。双子! 名前を決めなきゃ。仔牛はどうやって雌牛のお腹に入るの? 牡牛が仔牛を雌牛の中に押し込むんだよ。そんなわけないでしょ。姉たちがお喋りする中、コットは黙っている。父親ダン(Michael Patric)が入ってくると皆黙り込む。赤ん坊の泣き声に父親は苛ついている。表でクラクションが鳴る。姉妹は出かけようとする。だが弁当が用意されていなかった。パパ、ママが弁当を作ってない! パンでも適当に持ってけ。
教室。コットが教科書を読むが、辿々しい。つっかえると先生が単語を読んでやる。次に指されたシボーンはすらすらと朗読する。
昼休み。コットは教室に坐っている。隣の席のコップと水筒を取、ミルクを注ぐ。呑もうとしたところで少年たちに机にぶつかられ、コップをひっくり返されてしまう。
服を汚したしまったコットがトイレに向かう、姉の1人がいて、友人からあんたの妹って変だよねと言われていた。
鐘が鳴らされ、校庭で遊んでいた子供たちが校舎に駆け戻る。コットは校舎を飛び出して壁を攀じ登って出て行く。
コットは怒りを発散させながら1人歩いている。
父親の車の後部座席。コットは黙って車窓を眺め。父親も口を利かない。途中、父親がパブに立ち寄ってカウンターでビールを呑むのをコットは離れた場所に坐りじっと待っている。再び、父親の運転する車で家へ向かう。途中、1人で歩いている女性(Carolyn Bracken)を見かけると、父親が車を駐めて拾う。元気だったか? 助手席に坐った女性は何も答えない。何だよ。彼女が後部座席のコットを一瞥する。どの娘? はぐれ者。何か言うことあるでしょ? ダンはラジオを点ける。私に構わないでくれる。家まで遠いだろ。道端で降ろされたいか? お前次第だ。
夜中、トイレに行ったコットは、階下での両親の話を耳にする。聞いてる? 何だ? コットをどれくらい滞在させてもらえばいい? 赤ちゃんが生まれるまで? 望むだけ。私が伝えなきゃならないの? お前の身内だろ。本当役立たず。分かってる? 言いたいことを言えばいいさ。いつも通りにな。
学校から1人で帰って来たコットは家の門で郵便配達夫に行き会う。今日は一通だけ。
家に入ると、幼子の泣き声がする。ママ宛の手紙。テーブルに置いといて。身重の母親が椅子に坐って手紙を読むと、コットを呼ぶ。
コットが車の前に立っている。みんな、コットが出るわよ! 母親が姉たちを呼ぶ。姉たちは今行くと遠くで叫ぶが、父親が行こうとコットに促す。
父親の薄汚れた黄色い自動車の後部座席に乗ったコットは窓越しに空を見上げる。父親は煙草を吸って黙って運転する。途中、父親はラジオを点けると、ウォーターフォードが3対1だ、とコットに話しかけた。そこに向かってる? ああだからウォーターフォードに賭けりゃ間違いない。だがラジオ実況はウォーターフォードが得点されたと報じた。父親が悪態を吐く。
いつしか眠り込んでいたコットが目を覚ますと、車はゆっくりと並木道を走行していた。瀟洒な住宅の前で父親が車を駐めた。犬が吠える中、父親はトラクターの傍にいたショーン(Andrew Bennett)に炎天下の3時間のドライヴを愚痴る。ショーンは司祭に雨乞いをしてもらったという。車にいたコットはドアを開けたアイリン(Carrie Crowley)に笑顔で迎えられた。
1981年。アイルランド。レンスター地方ウィックロー県の田舎にある牧場。9歳のコット(Catherine Clinch)は、身重の母親(Kate Nic Chonaonaigh)、ギャンブル狂いの父親ダン(Michael Patric)、3人の姉、幼い弟とともに、食事もままならない厳しい生活を送っている。寡黙なコットは姉たちの輪に入れない。勉強が苦手で、学校でも1人で過していた。夏休み、出産を控えた母親は、従姉アイリン(Carrie Crowley)とその夫ショーン(Andrew Bennett)にコットを預かるよう頼む。コットは父親の車で3時間かけてマンスター地方ウォーターフォード県のキンセラ農場に連れて行かれた。父親はコットの荷物を載せたまま帰ってしまったため、コットはアイリンから家にあった男の子の服を着せてもらう。アイリンは水汲みや掃除、料理の下拵えなどをコットに教えるとともに、風呂に入れたり髪を梳かしてやったりする。だがショーンはコットに関心を示さず朝食は食卓に着かずに立って済ませ、寝る前にアイリンに促されておやすみの一言を発するだけだった。
(以下では、冒頭以外の内容についても言及する。)
冒頭、牧場の草叢の中に潜んでいるコットが、彼女の境遇を象徴している。家族との間に隔たりがあり、自分だけの世界に閉じ籠もらざるを得ない。コットから見えるのは母親や父親の背中であり、姉たちとの間には隔たりがあることが、カメラワークで示される。
父親はギャンブル狂いで、女にも目がない。家族を貧困に陥らせてもなお、否、それがゆえに一発逆転のギャンブルに手を出す悪循環に陥っている。ひもじいコットをパブに連れて行き自分だけビールを呑んで平然としているが、その癖、自分が子供たちの父親であるという地位にはしがみついている。彼には父親であること以外に何も無いからだ。
母親は暗い家の台所に立ち、あるいは洗濯をし、子供たちを養う。コットはほとんど母親の背中や足下しか見えない。
キンセラ家の部屋の明るさが、実家の暗さとコントラストをなす。
夜尿症のコットは、キンセラ家でもおねしょをしてしまう。朝、アイリンが部屋に入ってきたとき、コットは窓辺で立って動けない。そんなコットに、アイリンはマットレスが濡れていたのに気付かなかったのは申し訳なかったと、コットを慰める。
アイリンがコットを慈しむ様子は、コットの髪を梳る場面に象徴される。アイリンが数を数えながら櫛を入れるのと、コットがキンセラ家に馴染んでいく姿が重ね合わされる。
アイリンはキンセラ家には秘密は無いという。秘密があることは恥ずかしいことだと。だがコットはやがてキンセラ家にある秘密を知ることになる。
急に現われた少女に対してどう接していいのか分からないショーンが、少しずつコットとの距離を縮めていく。とりわけアイリンに用事があり外出した際、初めて畜舎に伴っていく場面が印象的だ。コットはショーンを手伝おうとブラシを探しに行って迷子になり、ショーンはコットが行方不明になったことに酷く狼狽して叱責する。
(以下では、結末について言及する。)
夏休みの終りに、ショーンはアイリンとともにコットを実家に送り届ける。再びコットは暗い家に戻ってくる。車で立ち去る2人をコットは全力で追いかけ――走る訓練はショーンにつけてもらった――、門の開閉のために出てきたショーンに飛び付く。コットを追って出てきたダンを目にしたコットが「パパ(Daddy)」と口にし、その後、ショーンに顔を埋めて「パパ(Daddy)」と言ったところで映画は幕を閉じる。向けられた相手の異なる2つの「パパ(Daddy)」という言葉のために、この作品はあった。