展覧会『石の想像界 アートとアーティファクトのはざまへ』を鑑賞しての備忘録
インターメディアテクのGREY CUBEにて2018年9月26日~2019年1月27日。
フランス人アーティストのユーグ・レプとの共同企画。石を扱う現代美術作品と石の学術標本とを組み合わせ、石がアート作品になるとはどういうことか、石が芸術的価値を有するに到るのはなぜかを探る。
「雑草」という草はない。「石」という鉱物もない。
磨かれた石器からベンチャマの作品まで、見応えのある品々が並ぶ。
美術館や展覧会で「何か」を展示すると、その場のコンテクストにからめ取られ「何か」は美術品と捉えられてしまう。すると、その「何か」が美術品としての価値を有するか否か、美術としての価値が何をもって与えられるかの検証は置き去りにされることになる。それを避けたいという意図があり、「美術展」を名乗らず、アートワークと学術標本を混在させる展示手法を採用したという。
クンストカマーに蒐集された「パエジナストーン」という風景のような模様が見える石。図を風景として見てしまうのは見る側の認識の枠組みにある。自然の風景でさえ、その見方は学ぶものと捉えられた時代があった。イメージがあふれる社会では、風景写真や風景画を見る機会を通じて、自然に風景の見方を学習している。その見方を通じてパエジナストーンを見るとき、そこに風景を見るのはたやすい。もっとも、パエジナストーンも切り出され、表面を滑らかに加工してあるので、人の手も加わっている。その意味でアーティファクト(人工物)ではある。
鉱物の剥離標本も学者の手になるアーティファクトである。それぞれに異なる模様が表されているだけでなく、それらを整然と並べることで、インスタレーション作品として立ち現れる。
アートが扱う範囲が作家によって拡張され続けてきた結果、アーティストが呈示するものがアートという状況になっている。対象自体の美的価値ではなく、美的価値を付与するのがアーティストの役割になっている。
岩石とサンゴとが接着した標本。仮に切り出すという作業がなかった(自然に砕けて断片化した)場合、アーティファクトとは言えない。アーティファクトの鑑賞ではなく、自然物を観賞することになるだろうか。特異な形に面白さを感じるのは、ある風景に心を引かれるのと変わらないだろうか。
現実には、風景自体、人の手の入っていない場所は少ない。アーティファクトでないものは、希少な動植物や秘境に限られてしまう。