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芸術鑑賞の備忘録

展覧会『幕末の北方探検家 松浦武四郎展』

展覧会『生誕200年記念 幕末の北方探検家 松浦武四郎展』を鑑賞しての備忘録
静嘉堂文庫美術館にて2018年9月24日~12月9日。

幕末に蝦夷地を6回調査した探検家であり、好古家としても知られた松浦武四郎(1818-1888)を紹介する企画。

武四郎の生地は伊勢国一志郡須川村(現三重県松阪市)。お伊勢参りの伊勢街道を辿れば四日市東海道に出られた。15の時に江戸へ出奔し連れ戻されるも、以後諸国を放浪、対馬から朝鮮へ渡ろうとして失敗したこともあったという。長崎で蝦夷地が海防に重要であると知り、蝦夷地の調査に乗り出す。6回に渡る調査を敢行し、内陸部まで詳細な地図を作成した。1869(明治2)年には蝦夷地の新たな名称に「北加伊道」を選んでもいる。武四郎と蝦夷地をめぐる品々を紹介するのが本展の前半の柱。

武四郎は放浪癖だけでなく蒐集癖も強かった。諸国を歩き回る彼がいかにして成し遂げたのか不思議でならないが、資料的価値の高い珍品・逸品のコレクションを形成した。当時このような品々のコレクターは「好古家」と呼ばれた。同好の士である蜷川式胤や町田久成との縁で、新政府開催の博覧会(1871年)に石螺(アンモナイトの化石)や雷斧(磨製石斧)を出陳している。また、コレクションの主要作品を画家に描かせてカタログ『撥雲余興』も刊行している(1877年。1882年には二集も)。武四郎の蒐集品を紹介するのが後半の柱である。なお、静嘉堂には、約900点の武四郎のコレクションが収蔵されているとのこと。

武四郎は生前に河鍋暁斎に依頼して自らの涅槃図を描かせた。この一事をとっても武四郎の奇人ぶりは明白だが、作品(本展では複製を展示)自体もまた振るっている。勾玉などが数珠つなぎの3キロもある大首飾りを身につけ眠る武四郎。その足下に泣き崩れる妻。周りには彼のコレクションがびっしりと並び、浮世絵から抜け出た美女が雲に乗って武四郎を迎えに来る次第。本展では、涅槃図に描かれた武四郎のコレクションが実際に並べられ、対応表まで添えられている。そこにはエジプト新王国時代(紀元前14世紀)の遺物も含まれている。