可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

映画『来る』

映画『来る』を鑑賞しての備忘録

監督は中島哲也。原作は澤村伊智。
脚本は中島哲也岩井秀人、門間宣裕。

 

食品会社勤務の田原秀樹(妻夫木聡)は笑顔を絶やさぬ眉目秀麗の好青年。仕事も如才ない。取引先のスーパーで香奈(黒木華)を見初めると口説 き落とし結婚。美男美女の理想的な夫婦となる。香奈の懐妊を知るとすぐに育児環境の整った新築マンションに引っ越し、優れた子育てができるよう香奈と育児講習に通い、ブログで育児記録を始める。生まれた娘に知紗 と名付け溺愛する様子に、友人や同僚、パパ友たちは皆、羨望の眼差しを向けている。順風満帆の秀樹の生活を脅かすきっかけは、ある日の勤務中 、後輩の高梨(太賀)から会社玄関に知紗の件で来客があると告げられたことだった。出向いても誰もおらず、高梨はどんな客であったか何も覚えていない。すると高梨は突然肩から血を流し、倒れる。命に別状はなかったものの、原因不明のまま入院することになった高梨は亡くなってしまう 。その後、秀樹の家庭に不可解な出来事が起こるようになり、不安に駆ら れた秀樹は親友で民俗学の准教授である津田(青木崇高)に打ち明ける。 津田は秀樹の相談内容から野崎(岡田准一)に解決を依頼するのががふさわしいと判断、2人で野崎に会うこととなった。

 

怪異譚である。前半は秀樹の子供時代の記憶あるいは幻想として死にまつわる経験、そしてそれに関連して何かの到来が描かれる。後半では、秀樹とその家庭に訪れる不可解な現象、そしてその現象を解決するために比嘉真琴(小松菜奈)、逢坂セツ子(柴田理恵)、真琴の姉・琴子(松たか子)といった霊媒師たちが登場する展開となる。

もっとも、PG12であることからも分かるとおり、残酷な描写もなく、恐怖譚としての恐ろしさは極力抑えられているようだ。多くの人に鑑賞してもらうことを意図したのだろう。そのためホラーを期待した人には満足できないかもしれないが、その分、メッセージ(主題)は明快になった。

本作の主題は、建前と本音とがつくる人間関係の有り様だ。冒頭で描かれる、秀樹の実家の法事から始まって、秀樹と香奈の結婚式、引っ越し祝いのホームパーティ-など、人々が集まった場での建前と本音との落差が描き出されている。地方・血縁・伝統と都会・職場関係・テクノロジーとの対比はあっても、建前と本音とは前者と後者とに通底している。秀樹は建前を、香奈は本音を象徴しており、両者が結合したときには矛盾が生ぜざるを得ない。そして、その矛盾を解決できなかったとき、破綻が訪れる(
=「来る」)。

ブログ(インターネット)と実生活だけでなく、二項対立は様々に表現されている。野崎は子供を堕ろさせた過去を持ち、娘を溺愛する秀樹と対照的だ。真琴は子供を産むことをできない体であり、娘を産んだ香奈とは対照的だ。野崎と香奈とは夫婦ではないのに対し、秀樹と香奈とは夫婦である。また、真琴と琴子とも対照的な姉妹として描かれている。

この作品で描かれる二項対立は、同じものの異なる表れにすぎない。この作品で重要なアイテムの1つとして鏡がある。鏡は左右が反転しているが、その映像は実体を反映している。極端に対立していると思われるものも、実は同じ実体を有するのだ。終盤で野崎が鏡を割るシーンがあるが、それは両者の対立を無効にする意志の表明だろう。

この作品で繰り返し登場する芋虫。芋虫は蛹の段階を経て蝶になる。だが、この作品では蛹のイメージは全く登場しない。蛹は内部で幼虫の姿を解かして成虫の全く新しい姿を獲得する。蛹は二項対立を超える融合を象徴するはずだが。そこに社会の抱える融合の不在、翻って分断の表現を見ることができる。

 

お祓いをして新年が「来る」。この映画は意外と新年にふさわしいかもしれない。

 

小松菜奈の美しさにはひれ伏すしかない。彼女の持つイメージであるクール・ビューティーでない、今回の情熱的なキャラクターも良かった。
妻夫木聡に、明るく軽いヤバい人を演じて敵う役者はいない。。
松たか子は奇人でも実在感を与えて説得力を持たせてしまうのが怖い。
岡田准一がやたら座っている。理由は分かるが、ちょっと座らせすぎではなかろうか。不自然で、かえって気になってしまった。
黒木華はR18作品でももっと魅力を活かすことを期待したい。
伊集院光がスーパー店長役を好演。声音が立川志の輔