映画『こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話』を鑑賞しての備忘録
監督は前田哲。 原作は渡辺一史。脚本は橋本裕志。
カフェ店員の安藤美咲(高畑充希)は医大生の田中久(三浦春馬)と付き合っているが、田中はボランティア活動が多忙で会えないことが多い。不安に駆られた美咲は、田中が本当にボランティア活動に勤しんでいるのか確認することにする。ボランティア先のアパートの一室を訪れると、鹿野靖明(大泉洋)が多数のボランディアに入浴させてもらっているところだった。幼い頃より筋ジストロフィーを患う鹿野は病気の進行のため、今では首と手くらいしか動かすことができず、ボランティアの助けなしには生きることができないのだった。鹿野は美咲が募集に応じてくれた新人ボランティアだと思い、嬉しがる。そこへ田中が買い出しから戻ってくるが、モスバーガーではなく誤ってドムドムバーガーを買ってきたことで鹿野に嫌みを言われてしまう。それでも田中が夕食を一緒にとろうと提案してくれたことで喜ぶ美咲だった。しかし、泊まりのボランティアが来られなくなったことから、急遽田中が代わりを務めることになってしまう。やむを得ず美咲も付き合うことにするが、鹿野は深夜に突然、バナナが食べたいと言い出す。
他人のサポートなしには生きることができない鹿野だが、自分の欲求を遠慮なく口にし、ボランティアにそれを実現してもらっていく。鹿野の態度は我が儘とも言える。だが、鹿野にすれば、自分の家で、自分の好きなことをしているに過ぎない。ごく当たり前の振る舞いをしているだけなのだ。そもそも生きるとは、他人に迷惑をかけることと同義である。そして、ボランティアは、鹿野を手助けすることで、鹿野から学ぶ。鹿野に与えることで、何かを手に入れることができる。その意味で鹿野とボランティアとは常に対等というのが鹿野の論理だ。
最初は鹿野を受け容れ難かった美咲の接し方が変わっていく様を通じて、観客は鹿野を美咲同様に理解できるようになっていくだろう。
辛気臭くなりかねないテーマがコメディとして成立している。鹿野がふてぶてしくも飄々とした憎めないキャラクターであること、そして美咲が気が強くたくましい女性として描かれていることが大きい(介助側の迷いや弱さは多くを田中に負わせている)。そして、突き放しつつもお互いに愛情を持っている鹿野と母(綾戸智恵)との関係性に、この作品の基調が象徴されている。
少なくともこの作品を見た後では、鹿野役は大泉洋以外に考えられない。
高畑充希は小悪魔的キャラクターを清潔感を保ちつつ演じていた。
ボランティアを率いている高村大助役の萩原聖人のさりげなさが凄い。
中核となるボランティア・メンバーの持続的な献身は、とても真似できそうにない。
ノーマライゼーションは、障害者の視点で、社会を改善する役割も果たしている。
田中が鹿野に本音を主張することの是非を問う場面がある。映画『来る』との共通点。