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芸術鑑賞の備忘録

映画『サスペリア』(2018)(2)

映画『サスペリア』(2018)を鑑賞しての備忘録
2018年のイタリア・アメリカ合衆国合作映画。
監督はルカ・グァダニーノ
脚本はデヴィッド・カイガニック。
原題は"Suspiria"。

オハイオ州出身のダンサー、スージー・バニオン(ダコタ・ジョンソン)は、ベルリンを拠点とする「マルコス・ダンス・カンパニー」に憧れを抱いてきた。ニューヨークで行われた公演には過去3度足を運び、公演のドキュメンタリー・ヴィデオも何度も見返している。入団を決意したスージーは、1977年秋、RAFによるハイジャック事件で騒然とするベルリンを訪れた。「マルコス・ダンス・アカデミー」に辿り着いたスージーは、オーディションとして音楽なしに踊るよう要求される。圧巻のパフォーマンスを行い、ダンス・カンパニーを率いるブラン(ティルダ・スウィントン)からその場で入団を許可される。のみならず、アカデミー内3階の寮にちょうど一部屋空きができたために、無料で滞在場所を確保することもできた。スージーが入居した部屋はパトリシアが利用していたが、RAFへの関与も噂される彼女は最近突然行方をくらませてしまったという。翌日、スージーはカンパニーの侵入団員として紹介される。舞踊『VOLK』のリハーサル中、パトリシアと親しかったオルガ(エレナ・フォキナ)は、パトリシアの失踪は寮母たちに原因があると訴え、アカデミーを去ろうとする。しかし、オルガは、階段で寮母の一人とすれ違った際にかけられた力によって涙が止まらなくなり、地下の鏡張りの部屋に誘導されてしまう。主演であるオルガの代役が決まらない中、新加入のスージーが代役に立候補する。ブランはまずは一人で踊ってみるよう指示し、ブランがスージーの手足に触れると、スージーの激しいダンスに合わせて、地下の部屋に閉じ込められたオルガの体が不自然に動き出すのだった。
一方、心理療法士のジョセフ・クレンペラー(ルッツ・エバースドルフ)は、パトリシア(クロエ・グレース・ モレッツ)からマルコス・ダンス・アカデミーの寮母たちについて相談を受けていた。ある日昂奮状態のパトリシアが予約なしに現われ、「最も美しい季節に私は去っていく」と繰り返し歌い、寮母達が魔女であり、ここを訪ねたことを知られたらおしまいだとクレンペラーに訴える。その直後、パトリシアは失踪してしまう。クレンペラーはパトリシアやその友人のサラ(ミア・ゴス)の身の上を案じ、アカデミーを調査することにする。

6章(「分断されたベルリン」、「涙の宮殿」、…)とエピローグから成る物語。

サスペリア』という同名の作品(1977年、ダリオ・アルジェント監督)を再構築した作品。主要なキャラクターの名前、アメリカからドイツへ主人公スージーがダンスを学ぶためにやって来る、降りしきる雨といった設定は同一。
男女ともに在籍したバレエ・スクールが、グァダニーノ版では、女性のみのコンテンポラリー・ダンスのアカデミーになった。男女赤いアカデミーの建物は、古びた緑を基調とした建物に変わった。魔力を物理的な作用によって示すのではなく、見えない作用・精神的な作用による表現に変わった。
例えば、窓硝子に顔を押しつけられるシーンは、窓硝子から鏡へと変わっているように、鏡が意図的に多様されている。アルジェント版では魔が外から入り込むように描かれたが、グァダニーノ版では、内側にあるものが現れ出る形へと反転させている。また、鏡は、原作を「反映」していることのメタファーにもなっているのだろう。
声を用いて雰囲気をつくる手法は似ているが、グァダニーノ版では、声よりも、息づかいを重視している。

飛翔や性的欲求などの魔女のメタファーがダンス(及びそのレッスン)に織り込まれている。
寮母たちが集まると、それは「サバト」となる。
女性の自立、「強い女性」、国家による女性の搾取への抵抗、男性に対する嫌悪などが描かれている。カトリック(=男性による支配)からの逸脱としての魔女が存在したことを踏まえてのことだろう。

グァダニーノ版では、東西に分断されたベルリン、そして「ドイツの秋」と呼ばれる1977年のRAFによる一連の誘拐(誘拐されたのは元ナチスにいた実業家)・ハイジャック事件を背景にしている。騒然とした街の風景、近隣での爆破事件、ハイジャックのテレビ映像などが差し挟まれる。刑務所内の囚人たち「自殺」の情報も。
魔女、宗教、第三帝国、RAF。人心操作。
クレンペラーと生き別れたとなった妻アンケのサイド・ストーリーが、作品の背景となるベルリン(ドイツ)の歴史を描き出す。

冒頭の、パトリシアがクレンペラーのもとを訪れた場面では、部屋の中のモノに何か不思議な力が働いていることが視覚化されている。そして、「眼」の図像を通して何者かがパトリシアを監視していることが、パトリシアが「眼」の表象や写真(の人物)を畏れることで表されている。

ダンスが何かを表現するものであるなら、ダンサーはメディアとなる。それは憑依である。

カンパニーの公演で"VOLK"という演目を踊るのは今回が最後とされていた。赤い紐を用いた衣装の意味するものは何か。

三人の母(嘆きの母、暗闇の母、涙の母)。これらは一体何なのか。

繰り返し現われる、死の床にあるスージーの母の姿。スージーの母にとって、末娘スージーを生んだことが罪となる。

記憶の継承と、記憶の抹消。これも重要なテーマになっている。