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芸術鑑賞の備忘録

展覧会 第11回恵比寿映像祭「トランスポジション 変わる術」

展覧会『第11回恵比寿映像祭「トランスポジション 変わる術」』を鑑賞しての備忘録
東京都写真美術館他にて、2019年2月8日~24日。

東京都写真美術館が毎年開催している、映像作品の展示・上映を中心としたフェスティヴァル。展示など無料の企画と、上映などチケットが必要な有料企画とがある。

東京都写真美術館3階の展示企画より、ルイーズ・ボツカイの《エフアナへの映画》。アマゾンの奥地、ブラジルとベネズエラの国境地帯の森に暮らすヤノマミ族を紹介するドキュメンタリー作品。枝を切り払いながら森に入りって魚を獲りに行く様子や、室内で赤ん坊を抱きながら編み物をする姿など、カメラはある母親を中心に追っていく。表情を間近にとらえながら、被写体の人物がカメラを意識することはほとんどない。通訳を介した質問がわずかになされる他は、ナレーションも字幕もない。ヤノマミ族の暮らしの中に入り込んだような映像体験が可能となっている。はじめはナタのような道具以外はほとんどが森で手に入りそうなものしか映らない。だが、ゴム製の人形で遊ぶ様子が出て来たり、ラジオ(音楽プレーヤー?)で音楽を聴いたり、と次第に森では得られない道具が登場し、最後の、皆が集まる祭りのような場面では、複数の男たちがケータイらしきもので人々を撮影する様子た映し出される。娘の名前にスペイン語系(?)の響きがあったり、森の外とのつながりはあり、そのつながりへの依存が徐々に強くなっていることが示されている。そして、ラストは、映像が真っ暗となり、伝統的な生活のため森を守るべく戦い続けるという、ヤノマミの長老の、ポルトガル語による演説が紹介される。

東京都写真美術館2階の展示企画より、カロリナ・ブレグワの《広場》。台湾のある街角にある小さな広場にある茂みから、歌声が聞こえたという噂が立つ。茂みの中には彫刻があったはずだと、そんな噂を聞いた住民が、広場に向かい、茂みを確かめる。やはりそこには彫刻があり、その彫刻が歌っていることが判明する。歌を聴くために広場の茂みに集まり始める人たち。彫刻は女性の声で「尋ねたいことがある」と繰り返し歌っている。彫刻の歌を楽しむ人もいれば、彫刻が歌うことを受け容れられない人も、昔からある彫刻がなぜ歌い出すのか訝しむ人もいる。そして、彫刻に対してなぜ歌うのか問いかける者、彫刻が歌うことに対して怒り出す者が現われ始める。状況は一向に明らかにならないまま人々だけが次第に混迷度を深めていく様が描かれる。茂みは植物に覆われて、彫刻の姿が一切映されない点が象徴的で、作中では結局なぜ彫刻が歌うのか、真相は藪の中である。日々確かに存在していながらやり過ごしていた問題が、ある日何かの拍子で明るみに出て、人々が対応を迫られるという状況を描いているのだろう。街中にある彫刻も、人々の目に触れる場所にありながら、なぜそこに存在するのか分からないものがある。視界に入っていながら意識していないという問題を象徴するのに彫刻ほどふさわしいものはなかったのだろう。

東京都写真美術館地階1階の展示企画より、ミハイル・カリキスの《とくべつな抗議行動》。イースト・ロンドンの7歳の子供たちが環境問題について話し合う場面と、仮面劇のような映像とを組み合わせた作品。とりわけ、子供たちが話し合う場面の、個々の発言や表情が素晴らしく、見入ってしまう。

デヴィッド・オライリー東京都写真美術館3階で《エヴリシング》と題されたヴィデオ・ゲームとその解説映像を、同館地階1階で《おながい、なにかいって》というアニメーションをそれぞれ展示している。《エヴリシング》というゲームは、植物や動物などあらゆる生命をプレーヤーが動かすことができるというもの。次々と様々な生物の立場に入れ替わっていくことができるのが、ポイントの1つ。もう一つのポイントは、生命全てに共通する「ダンス」なのだが(コントローラーに「ダンス」という機能のボタンが用意されている)、よく分からなかった(ゲームの操作をマスターできれば楽しめたのかもしれない)。解説映像では、全ての生物のつながりを訴えており、壮大な内容だと分かる。生き物が90度ずつ回転するような変な動きをするのがと、ダンスだとかジャズだとか、マティスみたいな言葉が出て来るのが印象的。《おながい、なにかいって》は、猫とネズミらしきキャラクターをシンプルな造形で描き出し、それでもなお鑑賞者に情動を伝えることができることを証明して見せた作品だという。確かに描かれる場面や呈示される情報は限られ、かつスピーディーに展開していくのだが、ついキャラクターに感情移入してしまう。

恵比寿ガーデンプレイスセンター広場では、さわひらきの《platter》と題されたインスタレーションが展示されている。テントの中に2つの画面が据えられ、室内と世界の果てのどこか(屋外)とを舞台に、脚の生えたやかんやらティーカップやらが歩き回る様が映し出される。付喪神百鬼夜行を見せる見世物小屋のような趣向であろうか。テントの中には不思議な世界に魅せられた者は、広場からテントが消え去ったときに童子に姿を消し去ってしまう、というようなストーリーを抱かせる魅力的な装置である。