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芸術鑑賞の備忘録

映画『ROMA ローマ』

映画『ROMA ローマ』を鑑賞しての備忘録
2018年のメキシコ・アメリカ合作映画。
監督・脚本は、アルフォンソ・キュアロン(Alfonso Cuarón)。
原題は"Roma"。

1970年、メキシコシティのローマ地区。クレオ(Yalitza Aparicio)は、 アデラ(Nancy García)とともに、医師アントニオ(Fernando Grediaga) の家庭に、住み込みのメイドとして働いていた。アントニオは家を空けがちで、妻ソフィア(Marina de Tavira)が家庭を切り盛りしている。ソフィア自身、生化学で教鞭を執っているため、ペペ(Marco Graf)、ソフ ィ(Daniela Demesa)、トーニョ(Diego Cortina Autrey) 、パコ(Carlos Peralta)の育ち盛りの4人の子どもたちの世話は、日中は、ソフィアの母テレサ(Verónica García)とクレオが担っている。子どもたちもクレアを家族のように慕っている。ある日、出張から帰ってきたアントニオは、再び学会のためケベックへ向かい、数週間滞在するという。ソフィアはアントニオを引き留めたいと強く願い、縋るようにして見送るが、夫は淡々と出発してしまった。ある休日、クレオは、アデラとその恋人ラモン(José Manuel Guerrero Mendoza)、そしてラモンの従兄弟フェルミン(Jorge Antonio)と映画を見に出かける。既にクレオフェルミンは顔見知りで、お互いを意識し合っていた。フェルミンは天気がいいのに映画はないとの口実でクレオを連れ出し、部屋を借りて関係を持つ。その後、生理が遅れていることに気が付いたクレオは、フェルミンと映
画を観ている最中、彼に妊娠を告げる。フェルミンは間もなく映画が終わるにも拘らず、トイレに行くと上着を置いたまま席を立つ。クレオを置き去りにしたフェルミンは、以後、クレオの前から姿を消してしまう。不安でいっぱいのクレオがソフィアに相談すると、ソフィアはすぐさまかかりつけの病院へクレアを連れて行き、検査を受けさせる。ソフィアも、アントニオが愛人との生活を選んだことを知って苦悩し、アント
ニオを取り戻そうと必死であった。

全篇モノクローム
冒頭は通路のタイルを固定して映し出す(エンドロールの空と対照的)。水をかけ、こする音が聞こえ、次第に水が画面のタイルにまで流れ込んでくる。早朝、クレオが通路の清掃を行うシーンだと分かり、そこからクレオの一日を描き出していく。

政治情勢がクレオの人生と交錯し、影を落とす。だが、主題はあくまでもクレア(日常)だ。口数少なく実直なクレオの姿に、いつの間にか感情移入してしまう。洗濯物を干している屋上で、兄にいじめられたパコが「死んでる」といって拗ねて寝そべる。すると、クレオが一緒になって寝そべり、パコに問いかけられても「死んでる」としか答えない。クレオが家族に慕われる理由を一瞬に理解させ、日常の中にあるささやかな幸福を味わわせるシーンとして、忘れがたい。武術にはまっているが、頭も心も働かすことのできない、「棒」を振り回すだけのフェルミンの醜悪さは、クレオをより美しく際立たせる。クレオフェルミンを捜して訪れた武術の屋外道場のシーンは、象徴的だ。

コメディ、バラエティのテレビ番組、映画などの映像が織り込まれる。1970年という時代を示すとともに、登場人物の心情を表し、あるいは物語の伏線を張る。

映像に限らず、象徴や伏線の盛り込みは豊富で、ソフィアを象徴する自動車や、クレオの杯など、探せばきりがなさそうだ。

この作品が多くの賞を獲得したことはよく納得できるし、嬉しくもある。