映画『幸福なラザロ』を鑑賞しての備忘録
2018年のイタリア映画。
監督・脚本はアリーチェ・ロルバケル(Alice Rohrwacher)。
原題は、"Lazzaro felice"。
大洪水以来、外界から隔絶されてきたイタリア山間部のある小村では、廃止されて久しい小作人制度が未だに維持されていた。たばこを中心とした農産物は極めて安価で買い取られるため、監理人が村に生活必需品を運び込むたび、村人の借金は嵩んでいくばかりだった。結婚を誓ったカップルが出奔を図るも、「毒蛇」と渾名される領主アルフォンシーナ・デ・ルーナ侯爵夫人(Nicoletta Braschi)に、残された家族がどんな憂き目に遭うか分からないと脅され、断念させられてしまう。肉親がおらず純朴な青年ラザロ(Adriano Tardiolo)は、何を言われても拒まず従うため、村人たちにこき使われていたが、本人は気にとめる様子も無く、淡々と働き詰めの日々を過ごしていた。侯爵夫人の一家が、例年の通り、収穫作業を監督しに村にやって来た。子息のタンクレディ(Luca
Chikovani)は、母親による時代錯誤な村人の収奪に不満を抱いており、退屈しのぎもかねて、略取を偽装して母親から財産を奪おうと画策する。「毒蛇」の子であるタンクレディは、村の誰からも相手にされないが、ラザロだけは別だった。ラザロを気に入ったタンクレディは、自分の父は好色家でラザロの母親にも手を付けたのだろうと吹き込み、自作のパチンコを与えて忠誠を誓わせ、その協力を得て計画を実行に移す。ところが、一枚も二枚も上手の侯爵夫人は息子の悪ふざけだと意に介さない。だが妹の妹ステファニア(Maddalena Baiocco)は別で、日が経つにつれて不安を募らせていた。そして、兄からの電話を受けたことをきっかけに、警察に通報してしまう。行方不明者の捜索のため村を訪れた警察によって、村における違法な収奪の実体が明らかにされ、村は解体されることになる。だが、身元確認のために集められた人々の中にラザロの姿は無かった。そのことを気にかけていたのは、いたずら小僧ピッポ(Edoardo Montalto)の若き母親アントニーナ(Agnese Graziani)だけだった。人々に内緒でタンクレディを匿っていたラザロは、高熱を発していたにも拘らずタンクレディの隠れた場所へ向かおうとして、崖から転落してしまっていた。
ラザロの姿を何ら変えないまま、否、変えないことによって、ラザロの持つ聖なる能力を表している点が素晴らしい。そして、ラザロの無垢な存在・発言・行動が、常識の持つ欺瞞や異常さを映し出す鏡になっている。
風の音、オオカミの吠え声、音楽、音の不在など、音が見えない力=神秘の力を表す役割を担っている。
政治(貴族)、宗教(聖職者)、経済(銀行員)に対する風刺を折込みながらも、それら権力やシステムに盲目的に追従する人々が、より弱い存在を不満の捌け口とする状況を憂う、現代の寓話として出色の作品。