可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

映画『旅のおわり世界のはじまり』

映画『旅のおわり世界のはじまり』を鑑賞しての備忘録
2019年の日本・ウズベキスタンカタール合作映画。
監督・脚本は黒沢清

 

旅番組の取材でウズベキスタンを訪れた葉子(前田敦子)は、初日のロケの集合に遅刻してしまう。待ち合わせの場所で現地の男性に声をかけられ、スタッフの名刺を見せられた葉子は、その男性の運転するバイクの後ろに半信半疑でまたがる。向かったのは、灌漑の結果偶然生まれたという巨大な人工湖。カメラマンの岩尾(加瀬亮)が湖畔にカメラをセッティングし、ディレクターの吉岡(染谷将太)が葉子のコメントを準備していた。コメントを暗記する葉子にADの佐々木(柄本時生)が防水ズボンを渡し、身に着けた葉子が湖水の中へと進む。カメラが回ると、ユーラシア大陸のど真ん中、ウズベキスタン人工湖で幻の怪魚を捕まえるという企画を、葉子が明るく説明する。吉岡は画面に動きがないのが不満で、葉子に動いてみるよう指示を出す。その後、舟を出し、罠を仕掛けるが、ゴミしかかからない。舟を出す地元の男性は、女性が漁に関わるのが良くないと主張していると、通訳のテムル(アディズ・ラジャボフ)が吉岡に伝える。リポーターを外すわけにはいかないと考える吉岡は、状況を打開するため、現地の食のレポートに切り替えることにする。ところが、取材先のチャイハナ(食堂)は、撮影予定日の前日で食事が用意できないから取材を受けられないという。吉岡が紙幣を突き付けて強引に撮影許可を取ったものの、急遽用意された名物料理「プロフ」の米は生煮えだった。撮影を続けるかどうか吉岡に迫られた葉子は、続行を選択し、米がカリカリして美味しいとコメントをするのだった。米が調理できなかったのは十分な薪が無かったたためで、薪が調達された後に食堂の女将さんが改めて料理を用意するが、葉子はもう食べたからと口を付けず、車に乗り込む。ホテルに着いた葉子は部屋に入るとすぐにスマートフォンで東京の恋人へ連絡を入れる。そして、ガイドブックと地図とを手に一人バザールへと向かった。何とかバスを見つけてバザールに到着した葉子だが、売り込みに迫ってくる人たちに辟易し、外れにある静かな売店で果物とパンとを調達する。その後辺りを歩くうち、住宅の密集する一角で、囲いの中の1匹ヤギに遭遇する。その後日が落ちて暗くなる中、何とかバス通りに出てバスに乗り込み、ホテルへと戻る。翌日は再び怪魚を捕獲する予定であったが、女性が漁に出ることを好まない昨日の男性は舟を出してくれなかった。まだ番組に使える素材はまだ1分半程度しか撮れておらず途方に暮れる番組スタッフたち。そこで葉子が昨日見かけたヤギを解放するという企画を提案する。

 

視聴者が求める内容を効率良く撮りだめようと強引に物事を運ぶ吉岡、経験はあり腕も立つのだろうがその分番組制作への情熱は冷めてしまっている岩尾、レポーターの葉子を気遣い撮影が滞りなく進むよう甲斐甲斐しく動き回る佐々木。実直で冷静な通訳のテムル。彼らに囲まれた葉子は、仕事中は、台本(企画意図)に沿って役割を果たそうと必死だ。だが、撮影が終わると、プライヴェート・モードに切り替える。一人で行動し、やたらと街を歩き回り、しかも、通行量の多い自動車道を突っ切ったり、柵を乗り越えたりするところに、決められた道から外れようとする葉子の意思が表われている。そして、民家の脇に繋がれたヤギに自分の姿に重ね、ヤギ=自分を解放しようと思い立つことになる。だが、余裕の無い葉子に、自分のこと以外を見る余裕はない。

幻の怪魚ではないことが判断できても、幻の怪魚を手に入れることはできない。視聴者の求めるものではないと判断できても、視聴者の求めるものを手に入れられるわけではない。自分の理想では無いと分かっても、自分の理想を手に入れられるわけではない。

葉子の歌う『愛の賛歌(Hymne à l'amour)』が重要なモティーフになっている。"Peu m’importe si tu m’aimes, Je me fous du monde entier."という歌詞は、愛してくれるなら世界なんてどうでもいいといった内容。『旅のおわり世界のはじまり』という映画のタイトルは、旅の経験(視点の切り替え)によってこの状況から解脱することを示唆しているのだろうか。