可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

映画『ダーク・アンド・ウィケッド』

映画『ダーク・アンド・ウィケッド』を鑑賞しての備忘録
2020年製作のアメリカ映画。95分。
監督・脚本は、ブライアン・ベルティーノ(Bryan Bertino)。
撮影は、トリスタン・ナイビー(Tristan Nyby)。
編集は、ウィリアム・ブードウ(William Boodell)とザッカリー・ワイントラウブ(Zachary Weintraub)。
原題は、"The Dark and the Wicked"。

 

テキサス州。ヤギを飼養している家族経営の牧場。牧場主のデイヴィッド・ストレーカー(Michael Zagst)は病に倒れて寝たきりになり、意思疎通も難しくなっていた。妻のヴァージニア・ストレーカー(Julie Oliver-Touchstone)が、マネキン人形がいくつか立っている部屋で、「いつくしみ深き」を歌いながら一人裁縫に勤しんでいると、オオカミの吠え声が聞こえる。暗い中、畜舎に向かったヴァージニアは、ヤギたちを落ち着かせようと優しく声をかける。突然、紐に瓶や金具などを吊した鳴子が激しく音を立てた。ヴァージニアが辺りを見回すが、何もいない。ヴァージニアが家に戻り、台所に立ってタマネギを切っていると、ドアが開く。だが、誰もいない。再び包丁を握って作業していると、椅子が音を立てる。ヴァージニアのすぐ後ろに椅子が寄っていた。
月曜日。ルイーズ・ストレーカー(Marin Ireland)が車で農場にやって来た。久々に会った母の顔には見る影も無いほど苦悩に満ちていて、来るなと言ったのにとつれない。父の世話は看護師(Lynn Andrews)による定期的な訪問看護の外は、母が行なっていた。ルイーズが周辺の様子を見て回ると、弟のマイコウ(Michael Abbott Jr.)が、ヴァージニアの牧畜の手伝いをしてくれているチャーリー(Tom Nowicki)と車のタイヤを修理しているのに行き当たった。頼りになるのが来たとマイコウは軽口を叩く。弟も母に歓迎されなかったという。その晩、母と姉と弟が食卓を囲んだ。マイコウはビールを飲みながら久々の母の料理を褒める。ルイーズは、もう殖やさないと思っていたけど、と仔ヤギについて触れた。父さんのやり方を続けているだけだと言う。心が乱れた母は取り付く島も無い。姉と弟は玄関先の階段に腰を降ろし、お互いの近況や母のことを語った。ルイーズは誕生日に電話で話して以来で、母を気にかけなかったことを後悔する。ヴァージニアは1人台所に立ち、ニンジンを切っていた。

 

ルイーズ・ストレーカー(Marin Ireland)は、病気で寝たきりとなった父・デイヴィッド(Michael Zagst)が長くないと知り、久々に実家の牧場に帰省した。牧場を管理しながら父の介護をしている母・ヴァージニア(Julie Oliver-Touchstone)は困憊と心痛とでやつれ、気難しくなっていた。ルイーズは、先に帰省していた弟・マイコウ(Michael Abbott Jr.)とともに母に対して気遣いを示すが、母は取り付く島も無い。

以下、全篇について触れる。

登場人物がそれぞれ誰を見るかが鍵である。幻視する対象が、各々にとっての恐怖の原因であり、「悪魔」として苛むのである。そして、悪魔は「外」にいるのではなく、「内」に入り込んでいる。「内」とは「家」ではなく、「心」である。そのため、いくら「家」を離れても無駄だ。それは、チャーリーやマイコウの末路から明らかである。
ヴァージニアはデイヴィッドが寝たきりになった後、牧畜と介護とをほとんど1人で担ってきた。寂しさを埋め合わせるのは裁縫であった。彼女はかつて教会に通わなかった「無神論者」であったことが明らかにされる。信仰のない彼女に極度の精神的ストレスがかかったことが、「悪魔」が彼女に付け入る隙を与えることになった。そして、ルイーズの出生を巡っては、ヴァージニアにはデイヴィッドに隠し事があったことも示唆される。ヴァージニアがデイヴィッドを殺しに来ると恐れているのは、彼女が関係を持った男であろう。ヴァージニアは、その男の姿を常に感じているのだ。
ルイーズは、シャワーを浴びているとき、寝たきりで動くことのできない父親がカーテンの奥にいるのを目撃した。また、横たわる父親の口から蜘蛛が這い出すのを目にする。ルイーズはデイヴィッドと血のつながりがないことが、後にヴァージニアの秘密から判明する。意思疎通できないデイヴィッドの口からヒントが与えられることはないが、ルイーズとデイヴィッドとの間には果たして何があったのだろうか。おそらくルイーズが独身であることにも両者の関係が寄与しているはずだ。
マイコウは母親を見る。愛する母親を死なせてしまったことが彼の心を蝕んでいく。彼の見る母親には飛翔など悪魔のイメージが露骨に重ねられている。
チャーリーがルイーズを幻視するのは、彼女に対する情慾を象徴するものであろう。そして、ルイーズは、チャーリーの孫娘(Ella Ballentine)を招き寄せることになる。
看護師と司祭(Xander Berkeley)とはキリスト教を象徴する。だが2人ともストレーカー一家の救いにはならない(エリザベスが賛美歌を口ずさむようになっているのは司祭、あるいは看護師の影響だろうが)。信仰が「悪魔」を退けるというような陳腐な教えに堕する作品ではない。
恐怖の演出は、音楽の力に依存するところが大である。描写については、エリザベスが「悪魔」に取り憑かれてしまう比較的冒頭のシーンが1つのピークであり、それを越えてしまうような恐ろしい描写は無いように思われる。
「いつくしみ深き(What a friend we have in Jesus)」ってこんな歌であったろうか思わず考え込んでしまうような、エリザベスによる歌唱が聞ける。