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芸術鑑賞の備忘録

映画『ジョーカー』

映画『ジョーカー』を鑑賞しての備忘録
2019年のアメリカ映画。
監督は、トッド・フィリップス(Todd Phillips)。
脚本は、トッド・フィリップス(Todd Phillips)とスコット・シルバー(Scott Silver)。
原題は、"Joker"。

高い失業率や廃棄物処理問題で荒んだ世情のゴッサムシティ。道化師として日銭を稼ぐアーサー・フレック(Joaquin Phoenix)は、病気の母親ペニー(Frances Conroy)とつましい暮らしを送っている。ペニーは、30年前、ゴッサムシティを牛耳る富豪で市長選への立候補を予定しているトーマス・ウェイン(Brett Cullen)の屋敷で働いていたことがあった。そのため、ペニーは、ウェインに手紙を送り、耐乏生活に救いの手が差し伸べられることに一縷の望みを託していた。母とともにマレー・フランクリン(Robert De Niro)の人気バラエティー・ショーを視聴するアーサーは、コメディアンとして成功することを夢見ていた。だが、アーサーには、精神疾患があり、不時の笑いが抑えられない。治療薬を入手するため定期的にソーシャルワーカー(Sharon Washington)のもとに通っていた。ある日楽器店の閉店セールの呼び込みに道化師として派遣されたアーサーは、手にしていたセールの看板を少年たちに奪われる。追いかけたアーサーを待ち伏せした少年が看板で殴りつけ、倒れ込んだアーサーを少年たちが寄って集って足蹴にした。雇い主のバリー・オドネル(Murphy Guyer)は、アーサーが職場から看板を持ったまま姿を消したと楽器店からクレームが入っていると叱責し、看板を店に返さないのなら給料から差し引くと告げる。同僚のランドル(Glenn Fleshler)は護身用にとアーサーに拳銃と銃弾の入った包みを半ば無理矢理に渡す。小児病棟の慰問に道化師として派遣されたアーサーは、運悪く携帯していた拳銃を落としてしまう。アーサーはこの件でバリーから解雇を告げらてしまうのだった。

 

 2015年くらいからウェブ上で流行っている「キモくて金のないおっさん」という言葉があります。これは社会的弱者だが権利運動とか救済の対象として想定されていない男性を指す俗語で、よく「キモくて金のないおっさんは無視されている」「キモくて金のないおっさんを救済せよ」というような文脈で使われます。
このおっさんたちはどうやら非常に社会的、経済的に苦しい立場に置かれている一方、マイノリティとして目に付きづらいため女性や少数民族セクシュアルマイノリティ、障害者などに比べると自己主張しづらいそうです。「キモくて金のないおっさん」については、こうした不可視化、つまり存在が認識されていないことが問題だと考えている人が多いようです。
 (略)
 実は、近現代文学はこのようなおっさんの宝庫です。お金もなく、女にモテず、不幸で若くもい男の絶望に対しては、十九世紀からこのかた、欧米の優れた男性作家が感心を寄せてきました。イギリスやアイルランドの演劇には、この手のおっさんが山ほど出てきます。サミュエル・バケットの『ゴドーを待ちながら』(一九五三年初演)に登場するキモくて金のないおっさん、ウラディミールとエストラゴンの訳には多数の名優が挑戦してきましたし、最近ではアイルランド系イギリス人の劇作家マーティン・マクドナーがこうしたおっさん劇を得意としています。少なくとも文学史上においては、キモくて金のないおっさんは無視されるどころか主役なのです。(北村紗衣『お砂糖とスパイスと爆発的な何か 不真面目な批評家によるフェミニスト批評入門』書肆侃侃房/2019年/p.60-62)

まさしく「キモくて金のないおっさん」が主役の映画。アーサーは、自らが社会的に無視された存在であることをこそ嘆いている。彼はある事件を引き起こしてしまうが、その行為が脚光を浴びることで、自らの社会的な存在が承認される充足感を得ることになる。それが引き金となり、虐げられてきた過去に蓄積された鬱憤が暴発することになる。Joaquin Phoenixは、力の無い表情という仮面を被りながら、はち切れんばかりの悲しみと怒りとを内部に押さえ込む不可視の圧力を画面に充満させている。

アーサーの不時の笑いは、アーサー自身には対応する感情を欠いた、意図しない笑いである。社会に沈殿している憤懣が、アーサ-を依り代として徐々に形を成していく、その過程を描いた作品とも言える。トイレでの太極拳のような踊り(?)は自らが制御しきれない力を何とか制御するためのものであるとともに、反対に、社会の憤怒を自らの力として吸収している様にも見える。

殺伐とした社会、底辺の生活を表現する地味な色合いの中から、次第にアーサーの衣装が毒々しく色づいていき、アーサーが鮮やかなアイコンとして立ち現われる。

アーサーの、ソフィー(Zazie Beetz)との顛末が何よりもぞっとした。