展覧会「忽那則正写真展「蒸発する塔」』を鑑賞しての備忘録
銀座ニコンサロンにて、2019年11月27日~12月10日。
忽那則正の写真展。
エドワード・ホッパーの描くようなカウンターの人物は、半透明のビニールの向こう側の小部屋(cell)に曖昧にその姿を見せる。
喫茶店らしき閉鎖空間の壁を一面用いて樹木が描かれている。この写真と合わせてみると、タイルで覆われた壁面の窓の向こうに見える木々は、もはや屋外に立つ樹木なのか写真が貼られているだけなのかを区別できない。
水槽の底の死んだように横たわる魚と、ネズミ穴のように見える高架下の通路へと降りていく男。両者に違いはあるのか。
鍋とビニール傘とで身体を覆うをつくる人物は、都市のイソギンチャクのようだ。イソギンチャクに擬態することで、その存在は周囲から甚だしく浮き立つ。だが、誰もその姿を目に留めるものはないだろう。
プラットホームの上をベルトコンベアのように流されていく人々。プラットホームの下には動くことのないシダが太古からの姿を誇示している。
ビルの谷間の更地に取り残された白い天使の像は墜落したように仰向けに倒れている。
住宅街の奥に広がる、コンクリートブロックで格子状に仕切られた区画それぞれに墓石が並ぶ。死後の独房(cell)を生者に示すメメント・モリ(memento mori)のイメージだろうか。手にケータイ(cell)を持ち徘徊する群衆の姿の反転したイメージかもしれない。cellが集まりbatteryとなる。スマホの充電の前に、生を忘るるなかれ。