展覧会『毒山凡太朗「SAKURA」』を鑑賞しての備忘録
LEE SAYAにて、2020年3月20日~4月12日。
毒山凡太朗が桜をテーマに制作した作品5点を紹介する企画。
《Synchronized Cherry Blossom》は、桜の枝に、(米粉ではなく)小麦粉などで拵えた桜の花を取り付けたもの。作者はこの桜の花(の製法)を「ういろう」と呼ぶ。作者の好物である名古屋土産の「ういろう」を保存するために創作したらしい。名古屋名物としての「ういろう」は、1964年の東京五輪に合わせて開通した新幹線で車内販売に採用されたことがきっかけだという。だがリニア中央新幹線の建設が進められる中、名古屋のういろうが失われるのでは無いかという危機感が、作者をして「鑑賞するういろう」の研究・開発に至らしめたのだ。鑑賞者からの「ういろうではなく落雁に見える」という指摘を作者は想定しているだろう。むしろ、そこに本作品の要点はある。花=桜は古来からの伝統としても、桜=ソメイヨシノは近代の産物だ。江戸時代の後期にエドヒガンとオオシマザクラとの交雑により誕生したソメイヨシノは、安価で接木しやすく成長が早いことから、近代になって西洋から移植された「公園」などの公共空間へ植樹された。その結果、桜と言えばソメイヨシノをイメージするようになったのだ。ういろうを落雁に更新してしまう違和感は桜をソメイヨシノと等号でとらえる発想にも抱きうるはずのものなのだ。
《五輪像》は、多数の桜色の小石が組み合わさって大きな桜餅(道明寺)をイメージさせる球形の塊となったもの。いくつか突き刺さった東京五輪(2020)の記念銀貨(エンブレムとソメイヨシノとがデザインされている)は、転がる雪の玉のように膨らんでいく五輪の開催費用を象徴するのだろう。ところで、2013年、五輪の招致に当たり、首相は、3.11で事故を起こした原子力発電所についての懸念を払拭すべく、"the situation is under control"と述べた。だが原発汚染水の処理だけでも楽観出来る状況にあるとは言えないだろう。供養塔などに見られる「五輪塔」では、下から二段目に球形の「水輪」が配される。「復興五輪」を思うとき、今後も増え続ける汚染水に思いを致さない訳にはいかない。さらに、現状、五輪のコロナ状のエンブレムを見れば、財務相でなくとも「呪われた」五輪であるとの思いにとらわれざるを得ない。
《国之矛》は、桜の木を組み合わせた刀(木刀)と桜樹の太い枝を刳り抜いた鞘から成る。かつて観光地で見られた土産物の木刀の発祥は、白虎隊ゆかりの会津にあるという。白木刀を「白虎刀」として販売するアイデアが発端だったらしい。維新政府にとっては賊軍であった白虎隊だが、彼らの飯盛山における集団自決は、「忠君」を示すものと讃美され、後には国定教科書でも採用される「歴史=物語=histoire」となった。「咲いた花なら 散るのは覚悟 みごと散りましょ 国のため」と歌われる「同期の桜」(西条八十作詞)にあるように、兵士を桜花に擬えるのも、ソメイヨシノの存在があってこそだろう。《令和之桜》は小早川秋聲が戦没者に捧げた《國之楯》のオマージュとしての絵画であり、やはり戦没者である白虎隊隊士へと連なる《国之矛》と対を成している。そして、《過去と未来の物語》では、靖国神社の桜の花びら(「同期の桜の「花の都の 靖国神社 春の梢に 咲いて会おう」を踏まえたもの)が、「鑑賞するういろう」の桜花と同じ画面で組み合わされる。来し方への眼差しに支えられてこそ、行く末を臨むことができるというメッセージだろう。真摯に桜を見る機会が提供されていた。