可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会 山縣瑠衣個展『ATLAS』

展覧会『山縣瑠衣展 ATLAS』を鑑賞しての備忘録
JINEN GALLERYにて、2020年6月2日~7日。

地図をテーマにした絵画で構成された山縣瑠衣の個展。

3次元に広がる世界を2次元に落とし込む点で地図と絵画とは共通している。すなわち地図も絵画もともに欺く存在であり、そのファンタジーゆえにそれを目にする者を愉悦に誘う。《Aristotle's illusion》はその名の通り「アリストテレスの錯覚」をテーマとした作品で、ミケランジェロの《アダムの創造》を髣髴とさせる画面。神の手と指を交差させたアダムの手のみが描かれ、表面=皮膚=触覚としての地図=絵画が、その創造の瞬間から錯覚=ファンタジーであることを宣言するものと解される。
《畸形地図1 体表展開図》は、皮膚を剥がして伸ばしたような図が方形の画面に描かれている。円筒図法をテーマにした作品《Cylindical projection to see the deformed texture》も展示されていたが、体表の展開図を描くに当たって円筒図法を採用しているようには見受けられない。むしろ、皮膚の乱雑な広がりは、円筒図法の整然とした姿をあざ笑い、そのすまし顔こそ歪みがもたらしたものに過ぎないことを揶揄するかのようだ(歪みを題名に冠した《The distortion》の展示もあった)。体表の「図」に対し、「地」の部分は青、緑、白を基調に塗り込められ、定めし水・陸・極地から成る地球だろう。地球表面の展開図にのたうつように広がる「体表」は、地球=世界に新たな発見を描き込んでいく作者=自我の拡大の予兆だ。

 自己を俯瞰する眼にとって、自己の身体がまるで他者のように感じられることはいうまでもない。自己をはっきりと意識したとき、人は、自分の身体を与えられたものと感じる。なぜ自分は背が低いのだろうとか、もっと美人だったらよかったのにとか、考えてしまう。自分とはこの距離のことなのだ。自分とは自分から離れていることなのだというこの矛盾が、言語として表現されなければならなくなったときに、魂が、霊が、神が発生したと考えることができる。これこそ超越の起源というべきだろう。
 作図能力(引用者補記:自他をともに一望する俯瞰図を作成する能力)がもたらした結び目が、魂であり霊であり神なのである。(三浦雅士『孤独の発明 または言語の政治学講談社/2018年/p.424)