可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会 藤森哲個展『REAL FICTION』

展覧会『藤森哲展「REAL FICTION」』を鑑賞しての備忘録
コバヤシ画廊にて、2020年6月8日~13日。

藤森哲の絵画展。

展示作品中、最大の画面(194×448cm)の《tableau2019-01》は、限られた色数で左右対称に渓谷を描くようにも見える。すなわち手前に水の流れを奥に断崖を、両端に霧といったように。しかし岩肌や岸壁らしき部分に眼を凝らすと、機械部品や流体を思わせるおよそ渓谷の景観には似つかわしくない形で構成されていることに気が付く。メカニカルな印象を受けるような幻視的光景なのだ。他方、左右対称に配されたモティーフは、左右で違う描かれ方がなされ、そのアシンメトリーによって人工的な性格はむしろ弱められるようだ。自然と人工、現実と非現実、具象と抽象といったあわいが画面に立ち現れている。
《tableau2020-03(FLORENCE)》(194×224cm)は、一見すると身体らしき図像、あるいは腑分けと言えるようなイメージが、限りなく闇に近い空間に白く浮かび上がる。この「身体」も、ある部分は溶け出し、またある部分は機械的な構造を晒している。建築や廃墟にも見える。周囲の空間を完全な闇としないことで、「図」となる「身体」=「建築」だけに注意を絞らせず、背後に広がるかすかな光を宿す空間への想像の喚起力を生んでいる。

 『世界の散文』のなかでメルロ=ポンティは、「人間や意味は、世界の地の上に、まさにスティルのはたらきによって描かれてくる」と書いている。おなじ書物の別の箇所では、「世界のもろもろの与件がわれわれによってある〈一貫した変形〉にしたがわされるとき、そこに意味が存在する」とも書いている。そしてこの二つの概念は、たとえばつぎのように組み合わされてもちいられる。
 意味、われわれを現在や未来や過去、存在や非存在……に引きずり込むさまざまの誘引力の姉妹としての誘引力、まさにそうしたものを世界に到来させるためには、物の充実のただなかである種のくぼみ、ある種の裂け目をつくりだすだけで十分なのであり、そしてわれわれは生まれてからこのかたそうしているのである。図と地、規範と逸脱、上と下が存在するやいなや、世界のある諸要素が、それにしたがって今後残りのいっさいを測り、それとの関係で残りのいっさいを指示しうるような〈次元〉としての価値をもつにいたるやいなや、スティルが(したがってまた意味が)存在する。スティルは、それぞれの画家にとって、かれがこの絵画という表現手段のために構成する等価性の体系であり、かれがそれによってまだ散在している意味をかれの知覚のうちに集中させ、それをはっきりと存在するようにさせるべき〈一貫した変形〉の一般的で具体的な指標なのである。
 (略)
 たとえば言語表現や絵画表現をモデルにとりあげてみると、テクストや画面の構成要素の一つ一つは「ある特有の等価系(système d'équivalences)にしたがって、ちょうど百の羅針盤の百の針のように、たった一つの偏差を示す」ようになっている。テクストや画面に散在している潜在的な意味がある共通したヴェクトルのもとに収斂させられ、そこに一つのまとまった意味空間が開かれる、といった仕組みになっている。そしてこの仕組み、より精確には、ある共通の偏差がそれにしたがって発生するところの指数を、メルロ=ポンティは〈スティル〉と呼ぶのである。
 ちなみに、それぞれの作家のなかに据え付けられた表現のスティルについては、『知覚の現象学』ですでにつぎのように指摘されていた。「表現の操作は……テクストの深部そのもののなかに、意味を一つの物として存在するようにさせ、その意味を語のつくる一つの有機体のなかで生きるようにさせ、その意味を作家または読者のなかに一つの新たな感覚器官として据えつけ、われわれの経験に一つのあらたな領野または次元を伐り拓くのである」、と。
 こうした〈一貫した変形〉のなかで、与えられたある要素がその単純な存在からもぎはなされて他のいっさいを代表し、他のいっさいがそれとの関係で指示され、測られるような〈次元〉としてのはたらきを負わされるとき、それ自身はなに一つ意味などもっていなかった諸要素の一連の配置のうちに〈意味〉が住みつくことになる。「記号の布置がわれわれを、その布置に先だってはそこにもありはしないようなある意味に導いてゆく」のだ。こうした布置の組み換えのなかで、たんなる事実的な存在を超えた〈意味〉が分泌しはじめる。世界は〈意味〉へと変貌することによって自己を超えでる。これによって、われわれがそこへと没入していた現在を不在、すなわち過去や未来に、存在を非存在に、現実的なものを想像的なものに関係づける可能性が伐り拓かれるのである。(鷲田清一現代思想冒険者たち Select メルロ=ポンティ 可逆性』講談社/2003年/p.164-165, p.171-172)

作者は現実とフィクションとが相互に干渉し合っている現状や、「現実」と異なる「リアリティー」に対する問題意識を持って制作に当たっている。「ある種のくぼみ、ある種の裂け目」を画面上に生み出すことで、「〈一貫した変形〉の一般的で具体的な指標」としての「スティル」を画面上に見事に表現してみせている。そして、鑑賞者に「一つの新たな感覚器官として据えつけ」、「経験に一つのあらたな領野または次元を伐り拓くの」だ。