可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会 佐藤允個展『Øth(Zeroth)』

展覧会『佐藤允「Øth(Zeroth)」』を鑑賞しての備忘録
KOSAKU KANECHIKAにて、2020年6月6日~7月11日。

佐藤允の絵画展。

メインヴィジュアルに採用されている《森の掟》は、木の幹や葉、草叢なども描かれ、緑が主たる色彩となっているため、一見するとタイトル通り、森らしき空間が広がっている。しかしながら、林立するのは必ずしも樹木ではない。人工的な支柱も混ざっている。さらにそれらの間を埋めるのは、臓腑、目玉、卵、さらに得体の知れない物体である。サルバドール・ダリの《十字架の聖ヨハネのキリスト》から借用されたイメージ(磔刑を真上から描いたもの)、人物(誰?)の横顔、頭にフォークの刺さった遺体、ギレルモ・デル・トロが描きそうな妖精(?)なども描き込まれている。しかもこの作品には箱のような厚みがあり、上側には学生服を着た男性が寝そべる周りを埋め尽くす多数のマスクなどが、下側にはアンリ・ルソーの《眠るジプシー女》と《飢えたライオン》から着想を得たような人間を組み伏せてかぶりつくライオンが"No LOVE Between Us"とのメッセージとともに、左側面には目や臓器など中央の画面に連なる世界が階段や上方に向かって細くなるオブジェによって視線を上方に誘導される形で、右側面には内臓を晒すジェームズ・ディーン風の男性が「レダと白鳥」の絵解きのようなコンドームの白鳥を手に、それぞれ描き込まれている。あたかも、あらゆる穴は挿入され侵犯されなければならないと宣言するかのように、絵画や映画そして身体のイメージを、耳なし芳一がごとく余白を赦さず詰め込んでいる。極大(=∞)化によって逆に意味の極小(=ゼロ)化が目指されているようだ。おまけにタイトル自体、岡本太郎による獰猛な権力の寓意画と共通し、「対極主義」との通底までも解釈に呼び寄せている。
その他の作品でも、作品自体への執拗な描き込みが目立つものや、名画との関連性を示唆するものが多い。《その間にいろんなことがありすぎて、すごく遠く》(このタイトル自体も《森の掟》の解説のようだ)では、抱き合う人物のいる部屋の窓から万里の長城が見え、天井に穿たれた穴からは水が流れ出す。ポール・デルヴォーなどシュルレアリスムの絵画を想起させる。村山槐多の《尿する裸僧》の向こうを張り、女性の立ち小便を描いたらしき《Fontaine》は、マルセル・デュシャンレディメイドの代表作と同名であり、下着を着用していない女性のスカートの中を仰視する《Embraced in softness》は、覗くことと性器からデュシャンの《遺作》を連想させる。《飾り窓》に描かれる、「窓」辺でタバコを燻らせる男性の怒張した男根は"flesh"そのものであり、やはりデュシャンの《Fresh Widow》(freshとflesh, widowとwindow)へと接続する。白の薄い衣装に身を包んだ端整な顔立ちの少女と少年が正面を向いて並んでいる《13歳》は、ジャングルのような植物の密集から、アンリ・ルソーの世界に引き寄せられ、彼らが戦場を駆け抜けるあの「戦争」の寓意であり、あるいは足下には多数の人体が転がっているのではないかとの想像を駆り立てる。《Salò o le 120 giornate di Sodoma》は、マルキ・ド・サドの未完の小説『ソドム百二十日あるいは淫蕩学校(Les Cent Vingt Journées de Sodome ou l’École du libertinage)』を原案にピエル・パオロ・パゾリーニ監督が映画化した『ソドムの市(Salò o le 120 giornate di Sodoma)』の1シーンを描いたもの。《Curtain》は小陰唇を口に銜えて引っ張り出す眼鏡の男性を描く。ジル・ドゥルーズの『襞』へのオマージュか。
作品の多くで、自らの絵画に自ら描いた別の絵を貼り付ける技法が用いられている。パピエ・コレではあるが、他の物体を貼り付けるのではない。描き重ねることで、同じ意味の場における時間的な積層を求めるのではなく、違う意味の場を1つの意味の場へと収斂させようとの意図が窺える。ひょっとしたら、時間の先後が生む物語を排除しようとしているのかもしれない。とりわけ《欲望》という作品では、二者が一つに溶け合う、一体化の欲望が描かれている。全てが一つであるなら、円環(=ゼロ)の世界に先後の関係はやはり意味を成さなくなる。他の作品で余白を可能な限り拒み、支えるもののない支柱やつっかえ棒を描いていること(因果関係の不存在)もその証拠となるだろう。タイトルに掲げられた「Øth(Zeroth)」には「ゼロ地点」という意味がこめられているそうだが、その言葉からも順序の拒絶が看取される。
作者は「私は今、何がどうなっているのかよくわからない。けれど、わからないものはわからないままに考えながら、ここに居たい。」と述べている。常に「切迫して」(O.T.H.=on the horizon)いて、料簡(horizon=the limit of your deseires, knowledge or interests)を超えている(O.T.H.=over the horizon)認識の表白である。