可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会『雨足に沿って 舵をとる』

展覧会『雨足に沿って 舵をとる』を鑑賞しての備忘録
アキバタマビ21にて、2020年7月4日~8月9日。

大崎土夢、小山維子、千原真実、堀田千尋、松本菜々による展覧会。


松本菜々《黒潮(椰子の実)》について

壁面に掲げられたパネルは、左端が縦に銀色で塗りこめられ、左上の約9分の1の区画には椰子の木の林を水色でメッシュ状に雨に煙るかのように描き、その他の部分はやや色味の異なる水色で埋められている。絵画の右手には、少しだけ距離を離して黒い布が貼られ、余った部分が床の前の鉄枠へゆったりとかけられ、さらに残りの部分が床へと垂らされている。黒い布が敷かれた部分から少し間を空けて水色のアロハシャツとその脇に椰子の実が置かれている。さらに光沢のある糸がその先に置かれている。

 「名も知らぬ遠き島より流れ寄る椰子の実一つ……」の歌は島崎藤村が愛知県渥美半島の先端伊良湖岬に流れ着いたココヤシの実の話を友人の柳田国男から聞いたことがヒントになってつくられたものである。(中西弘樹『漂着物学入門 黒潮のメッセージを読む』平凡社平凡社新書〕/1999年/p.12)

タイトルの《黒潮(椰子の実)》から判断して、絵画の椰子の木から落ちた実が海に入り、黒潮の流れに乗って遠く離れた高緯度の海岸に漂着した様子を表すのだろう。椰子の木の繁茂する海域から沿岸流に乗って黒潮へという流れをキャンバスとそれから少し離れた黒い布で、黒潮の流れと距離とを黒い布の屈曲で、漂着元と漂着先とを壁と床という異なる平面で、漂着先の海岸に寄せる波をアロハシャツで、それぞれ表す。汀の高い位置にまで打ち寄せた波の跡を糸で表現するのも心憎い。

 漂着生物の中にはココヤシやオウムガイなど、その生物の繁殖圏を越えて漂着してくるものも少なくない。とくに日本列島は沿岸を黒潮が流れているので、たえず熱帯や亜熱帯から南方の生物が供給されている。海流の状況が現在のものとあまり変わりなければ、過去においても同じように漂着していたと考えられる。(中西弘樹『漂着物学入門 黒潮のメッセージを読む』平凡社平凡社新書〕/1999年/p.39-40)

漂着物は海からの贈り物として、かつては人々の生活の中に組み込まれていた。

 日本は周囲を海で囲まれた島国であるため、そこに生活する生物もヒトも海からいろいろな影響を受けている。陸上動物であるヒトは海岸を通して海とかかわり合いをもってきた。海岸には海藻、海産動物のほか、木切れやゴミなどいろいろな物が打ち寄せられている。これらは遠く外国から漂流してきたものもあるし、航海中に時化にあって難破したり、積み荷がくずれて流れてきたものもある。いずれにしても、海辺にすんでいる人たちにとっては、これらの漂着物は海からの贈り物であり、古くから生活物資として利用してきた。とくに沿岸にすむ人びとにとっては、毎日の薪から、ワカメ、テングサなどの海藻や魚介類、さらに日用品や道具類、あるいはそのものになる原料、材料など生活に役立つあらゆるものを漂着物から得ていた。したがって、毎日海岸を歩いて漂着物を探すことは大切なことであり、浜歩きとか磯まわりなどと呼ばれていた。(中西弘樹『漂着物学入門 黒潮のメッセージを読む』平凡社平凡社新書〕/1999年/p.47-48)

また、「漂着」するのはものだけではない。人もまた海の向こうから姿を現す。

 ハーンのこのエピソード〔引用者註:加賀浦の村での村人とラフカディオ=ハーンとの間の、交換を通じた暗黙のコミュニケーション、一種の「沈黙交易」〕は、私に、遠く太平洋を隔てた南米チリの荒れ果てた海岸イスラ・ネグラに後半生を過ごした、意識の航海者である詩人パブロ・ネルーダの、自伝における次のような少年期の回想をすぐに連想させる。

あるとき、私の家の裏で私の世界の小さな物やちっぽけな生き物を探していて、垣根の板に穴を一つ見つけた。その隙間を通して見ると、私の家の土地と同じような耕していない自然のままの土地が見えた。私は数歩あとへさがった。何かが起こりかけているのが漠然と分かったからだ。突然、一本の手が現れた。私と同じ年ごろの男の子の小さな手だった。私が近寄ったときには、手がなくて、その場所にちっぽけな白い羊があった。それは色あせた毛の羊だった。羊を滑らせるための車輪はとれてなくなっていた。そんなにきれいな羊は、私はそれまで一度も見たことがなかった。私は自分の家へ引き返し、代わりの贈り物をもって戻ってくると、それを同じ場所に置いておいた。それは開きかけた松かさで、私が大好きなものだった。男の子の手はもうどこにも見えなかった。あんな子羊はそれ以来もう二度と見たことがない。それは火事でなくなった。そして、この年になったいまでもなお、おもちゃ屋のまえを通るときには、私はこっそりショーウィンドーを見る。だが、その甲斐はない。あんな子羊はもうまったくつくられていないのだ。

ネルーダの父親は、鉄道員としての砂利列車の運転を任されていたが、父親とともに鉄路に沿ってチリ南部のアラウカニア地方の町々を移動した幼少期のネルーダにとって、ガラスの針のような雨が一年中降り注ぐこの地帯の家は、まるで港にたどり着きかねて冬の大洋をただよう一艘の貧弱な船のような姿に見えた。仕上げられていない部屋、未完成の階段。野営地のような仮設の家とその裏手にある垣根で囲まれた小さな庭で、こんな少年たちの「沈黙交易」がひそやかに営まれていたのである。顔のない、小さな浅黒い手だけがわずかに介在するだけの、この贈与交換の儀礼――。そこで、白い羊の玩具と開きかけた松かさという、お互いに予想もしない「寄物」は、人間の意識の汀に寄りついてくる漂流物のようにして、群島としての無垢の魂の波打ち際にあるとき漂着する。ネルーダにとってのアラウカニア地方の家や庭が、つかのまの寄留地にしか見えなかったように、あるいはハーンが描写した日本海沿岸の浦浦の家が廃船で組み立てられたようなかりそめの構造物としか見えなかったように、こうした沈黙交易の現場では、地所も所有物の転変も、すべては自然界からの贈与の環によって律せられていた。そこで「所有」することは、「与える」ことの連鎖によって成立する信の構造に裏打ちされるような何かであるにすぎず、それ以上のものではかったのである。
 ブロニスラフ・マリノフスキーが、フィールドワークにもとづく近代人類学の先駆として、1922年に刊行した著作『西太平洋の遠洋航海者』で詳細に描き出したトロブリアンド群島の島伝いに成立する贈与交換の環「クラ」の構造もまた、所有という観念が、無私の贈与がもたらすコミュニケーションへの信頼によって裏打ちされていた世界の構成原理であった。そこで所有することは、寄りつくものをいただき、ふたたびそれをどこかに向けて与えてゆくという行為の連鎖にほかならなかった。群島世界では、異人はその世界に神話的贈与をもたらす「寄留者」であり、汀に流れ着く異物もまた異世界からの神秘的な「寄留物」「寄物」として深い信仰と崇拝の対象にさえなった。(今福龍太『パルティータⅡ 群島-世界論』水声社/2017年/p.57-59)

「漂着」ないし「無私の贈与」とは、命を与えられることそのものだ。是枝裕和は『空気人形』(2009年)で、偶然に命(=心)を持ってしまった男性用の性欲処理人形(空気を入れて膨らませる構造のもの=「空気人形」。ラブドール)を描くことで、人もまた命を与えられてしまうものであり、風に吹かれる(『創世記』第2章第7節における「命の息」を連想させる)タンポポの綿毛に漂着する生命、生命の無私の贈与を象徴させた。また、生の充実を水滴(雫)やガラスの輝きに重ね、空気人形とある少女との間での一種の「沈黙交易」を行わせている。《黒潮(椰子の実)》もまた、漂着する椰子の実に、「無私の贈与」としての生命が重ね合わされており、この作品の呈示自体が観客との間の非言語的なコミュニケーション(=「沈黙交易」)として機能している。