可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会 末永史尚個展『ピクチャーフレーム』

展覧会『末永史尚「ピクチャーフレーム」』を鑑賞しての備忘録
Maki Fine Artsにて、2020年8月29日~9月27日。

名画の額縁を絵画化した「ピクチャーフレーム」シリーズで構成される末永史尚の個展。

フィンセント・ファン・ゴッホ夜のカフェテラス》や、岸田劉生切通しの写生》などの有名な絵画作品の額縁をモティーフとした絵画。額縁の造型や色味を(上下で色味が異なるなど)光の加減まで考慮して再現して描いているが、ゴテゴテした装飾が施された額縁の凹凸も、すっきりとした色彩に変換されている。他方、額に収められていた絵画の部分は、その作品を象徴する1色で塗り込められることで、額縁の装飾性が浮き立たせられている。作者が作品に合わせた額縁自体を特に制作していたり、作品に合わせて(つなげて)額縁にまで描画を試みているような場合でない限り、額縁を意識して鑑賞することは稀だろう。また、カタログや画集をはじめ図版として紹介されるときは原則として額縁はカットされている。そのため、意外と主張の強い額縁が作品を縁取っていたことに改めて気付かされる。どんな絵画の額縁を絵画化したのか、元になった名画を想像しながら鑑賞する楽しみもある。プロジェクターと壁面に投影された映像という洒落の利いた作品も併せて展示されている。青で表現された「映像」においては額縁は不在である。壁に掛けるモノが存在せず、その保護の必要もないからだ。それでも長方形の画面は、多くの絵画のフォーマットに則っている。「映像」という「絵画」を壁に貼り付けることで、映像に対する思考のフレームが可視化されるのだ。

作品を見るときに額縁が意識されないように、物事を見るときにも目に入っていながら意識されない要素があるだろう。例えば、上野公園で開催されたアートイヴェント『UENOYES』(2018)は「一人一人の人がその人のままでいることを自然に受け入れてくれる」と謳っていた。だが、上野の「森」の木々は伐採され、点在していたブルーシートの住まいは姿を消した。地面は舗装され、小綺麗なカフェが設置された。上野公園は「一人一人の人がその人のままでいることを自然に受け入れてくれ」なくなっていた。プロデューサーやディレクターには、ホームレスの姿など全く意識にのぼらなかったのだろうか。新人Hソケリッサ!のように馴致したホームレスの存在のみ許容するという姿勢に見られる謳い文句との背反性には悍ましいモノがものがある。残念ながら公共感覚のグロテスクな変容は明確に形を取りつつある。今年(2020年)開園した宮下公園において入口を多数の警備員が封鎖していた情景は、この延長線上にある。

意識していないとしても額縁が作品に影響を与えるように、与えられた枠組みを通じてしか物事を捉えられていない可能性がある。