可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会 小川愛個展『sand sea』

展覧会『小川愛「sand sea」』を鑑賞しての備忘録
gallery N 神田社宅にて、2020年10月17~31日。

トーストの立体作品のような絵画(キャンバスに油彩)のシリーズから成る、小川愛の個展。

バターやジャム、半熟の目玉焼きなどが載ったトーストが壁面に並んでいる。石膏その他の素材が併せて用いられているが、4枚切り(?)にスライスされた食パンを模したキャンバスに油絵具を用いて描いた絵画である。焼きすぎて焦げたかのように黒ずんでいるものが多い。ホテルやカフェで供されるトーストではなく、時に焦げ付かせてしまい、また時に蜂蜜やジャムを塗りすぎてしまう日常性を映し出そうとの意図であろうか。荒々しい筆触にはフィンセント・ファン・ゴッホの絵画を想起させるものがある。溶け残るバターがひまわりに、渦巻くクリームとジャムや半熟の目玉焼きが太陽に見えてくるのだ。ところで、ゴッホはかつて聖職者の道を志したが、キリスト教において、パンはキリストの肉体を表す。トーストに作者の身体ないし自画像を重ねることも不可能ではないだろう。
ほとんどの作品には展覧会タイトルと同じ《sand sea》というタイトルが冠されている。なぜパンが"sand sea"なのか。作者は「絵を描き、生きていくことは、果てのない砂漠や砂浜を歩き続ける感覚と似ている。」とのコメントを寄せている。生きることが食べることであるなら、トーストにバターを塗る(=食べる)ことはキャンバスに絵具を重ねていく(生きる)ことかもしれない。生み出された作品がそのまま人生行路(すなわち"sand sea")を表すことになる。
展示室の中央には、立方体に近い(「半斤」の?)巨大なトーストが鎮座している。イチゴジャム(?)の混ざったクリームがど真ん中に瀧のように流れ落ち、その重みに耐えかねるようにパン(キャンバス)がへこんでいる。旧約聖書において「乳と蜜の流れる地」(出エジプト記第3章第8節など)と表現される「約束の地」のように、"sand sea"のどこかには安住の地があるのであろうか。あるいは、女性のからだのメタファーかもしれない。白い精液が赤い血液と混ざり合い、穿たれた穴へと注がれる。女性の身体表象と"sand sea"を重ねるのならば、安部公房の『砂の女』が連想される。"Two's company, three's none."(恋人たちは2人にしておけ)との諺もある。そもそも"company"とはpanis(パン)をcom(ともに)することを原義とする語であった。