展覧会『超絶技巧を超えて 吉村芳生展』を鑑賞しての備忘録
そごう美術館にて、2020年10月24日~12月6日。
モノクロームの風景画を中心とした「ありふれた風景」、色鉛筆で描かれた花々を展示する「百花繚乱」、新聞紙と結びつけた自画像を紹介する「自画像の森」(インド滞在時の自画像のみ前半2つのセクションの間に展示)3つのセクションで、吉村芳生の画業を振り返る。
「ありふれた風景」と題された最初のセクションで紹介されるのは、モノクロームの写真を濃淡の異なる細かな桝(線の多寡が異なる小区画)に分解することで絵画(あるいは版画)へと変換した作品群。草叢が点在する此岸と川を挟んだ対岸の建物を描いた《河原 No.7》(1978)、四車線の道路の向かい側の植え込み脇に駐車された2台の車を描く《A STREET SCENE No.16》(1978)、雨でぬめった歩道を急ぐスーツの男性の後ろ姿と車道に停められた車を描いた《SCENE 85-8》(1985)、デニムのパンツを大写しにした《ジーンズ》(1983)など。1つ1つの黒色や灰色の点には読み取れなかった意味が、それらの点が集積することによって立ち現れる。写真が絵画に転生するのだ。あるいは近くで見ると黒や灰色の点のランダムな布置に過ぎなかった画面が、そこから距離をとることではっきりとした像を結ぶ。これは「百花繚乱」のセクションで紹介される、近くで見ると色鉛筆の塗り跡がはっきりした画面が離れて見るとコスモスやケシの鮮やかな花が姿を見せる作品群と共通する。のみならず、「自画像の森」で紹介される、1年分の新聞に描いていった自画像(あるいは新聞の模写+自画像)が、積み重ねによって生きることそのものといったより大きな意味に開かれていくのにも通底しよう。集積や距離といった時間(変化)と結びつく写経的動作が生み出す作品群は、観る者を色即是空の想念へと導くだろう。
『方丈記』の有名な冒頭部分「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。」を思わせる、川とアブラナが咲き誇る岸辺を描いた《未知なる世界からの視点》(2010)。この作品の特徴は、描いた際の上下を反転させて、黄色い花々の映る川面が画面の上部に来る形で作品を完成(呈示)していることだ。蝿の姿を写しとった《Fly》(1979)では、蝿がひっくり返っていることでその死が示されていた(あるいは魂が飛ん(fly)だ樣を見せたのかもしれない)。作者が天地をひっくり返す操作によって示した「未知なる世界」とは冥界と考えて間違いない。絶筆となった《コスモス》は、右端に未完成の部分があり、(描く手が画面に触れることのないようにではあろうが)左側から描かれていることが分かる。来迎図では左から阿弥陀三尊が死者を迎えに現れる。浄土は人間界から西の遙か彼方にあるのであった。『方丈記』には「春は藤波を見る。紫雲のごとくして、西方ににほふ。」ともある。絶筆の《コスモス》の向かいには、白の空間に浮かぶ「藤波」を描いた《無数の輝く生命に捧ぐ》(2011-2013)が飾られている。ところで、作者は新聞紙に何度も何度も繰り返し自画像を描いた。新聞の自画像は、新聞をあたかも新聞を読む作者の顔を映し出す鏡のように機能させる。新聞は過去の(死した)出来事を記すものであるから、新聞紙面に表された作者は、死者の世界に身を置いているとも言えよう。改めて《無数の輝く生命に捧ぐ》を眺めてみよう。境界としての藤棚は他の作品と異なり背景が白く残されている。鑑賞者が藤の花の彼岸を見るように、彼岸の側から此岸を眺める死者の視線(=未知なる世界からの視点)を想起せよとの作者からのメッセージが聞こえてくる。境界は内と外とを隔てる。だが、内と外とは容易に反転する。作者は版画を手がけてきた経験からそのような実感を抱いていたのではなかろうか。思い返せば、作者は17メートル(17=陰の極数(8)+陽の極数(9)は偶然?)の《金網》(1977)で、此岸と彼岸の反転可能性(あるいは視座の反転)を既に指摘していたのであった。金網を白い紙とともにプレスし(凸から凹へ)、金網のつくった跡を鉛筆でなぞっていった(凹から凸へ)のだから。