可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会 冨安由真個展『漂白する幻影』

展覧会『冨安由真展「漂白する幻影」』を鑑賞しての備忘録
KAAT神奈川芸術劇場にて、2021年1月14日~31日。

冨安由真による、廃墟となったホテルのインスタレーションを展示。

ドアを開くと、ホテルらしき建物の通路が正面に真っ直ぐに延びている。その奥にドッペルゲンガーを目撃する。鏡の中の世界、すなわち彼岸(からの視線)を目でとらえる。通路を進み、左手にあるドアを開くと、暗闇の中、廃墟の断片的な光景が次々と浮かび上がっては消えていく。泥を被ったテーブル、倒れた椅子、鍵盤の失われたピアノなど。うち捨てられ、人々の姿が消え去った世界には、クマやシカ、キジなど動物たちが姿を見せる。ラジオが言葉ではない何かを受信している。靄が垂れ込める。能舞台の鏡板を地で行く鏡の世界(=彼岸)と今立つ空間(=此岸)とが地続きになる。鑑賞者はいつしか夢幻能の舞台に立ちワキを務めている。再び、ドアを開けて通路に出ると、天井灯が明滅し、世界が過去と未来に向かって無限に増殖している。「今」が永遠に連なっている。通路の向かい側にあるドアを開くと、今し方目撃した世界が、鏡の中に固着されている。変化を免れた、永遠の世界としての絵画である。
ラジオのようにアンテナを立て、茫漠と広がる空気の中から不可視のものをとらえよとのメッセージが明快だ。網膜に倒立する像は陰画(negative)に過ぎない。ネガ(negative)を印画紙に焼き付けるように、図と地とを反転させることで、目に映らなかったもののイメージが得られる。存在するオブジェから、何が見えなくなっているのか、何が不在か、何が失われているのかをつかみ取らなければならない。それは暗闇の中にこそ存在するだろう。

暗闇の中に目を凝らし、微かな音に耳をそばだてる世界。だが、そこにはオートフォーカスのための補助光が走り、液晶画面のバックライトが浮かび、さらにシャッター音が立つ。今時の鑑賞は撮影がセットなのかもしれないが、このインスタレーションに関しては撮影不可でも良かったのではないか。劇場で開かれる展覧会の意義が謳われ、本作品を演劇に擬えてもいた芸術監督は、自らの演出作品の上演中に撮影を許可するだろうか。演出効果の妨げとして、撮影を禁じはしないのだろうか。ご高説を賜りたいが、見えているものにとらわれすぎだと当方の集中力不足を指摘されるのがオチだろう。凡夫に偉才の意図は推し量ることは難しいが、敢えて想像を逞しゅうすれば、作品(展覧会)のヴァンダリズムにより、作品のモティーフである廃墟に対し「メタ廃墟」を呈示しているということになる。